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スポーツ医科学論壇

第5回 スポーツ科学の役割(前編)


高松 潤二(スポーツ科学研究部)

高松潤二 前編では、スポーツ科学、特に筆者が専門とするスポーツバイオメカニクスという学問分野が、スポーツ実践においてどのような位置付けにあるかを概要的に示した後、スポーツ科学が競技現場といかに連携し合えるのか、筆者のこれまでの経験をもとに述べさせていただきたい。

なお、「スポーツ医科学論壇」というシリーズタイトルであるが、科学を広義に捉えて、本稿ではスポーツ科学という語を統一して使う。また、本稿は、あくまで一科学者の非科学的な随筆であることをお断りしておく。

なぜスポーツ科学が必要か
スポーツ実践の場を考えてみると、実践者としての競技者がいることは自明である。そこで記録への挑戦心の芽生えや他者との競争性が生じると、競技力を高 めるために有効なトレーニングという行為が次に生じる。さらに高めようとすれば、客観的に当該の競技者のトレーニングや競技そのものを観察し、アドバイス を提供するコーチという存在が必要になる。現在では、これにスポーツ科学という競技者の実態をより詳細に把握するための装置が用意されている。

このように整理すると、競技者が目標とする競技力へと高めるための過程では、より良い技術やトレーニングの方法を見出すために多くのデータや情報が必要 であり、その解法として他者からの介入を受けていることがわかる。なかでもスポーツ科学は、スポーツに関するいろいろのものごとの事実を明らかにするため には、現在のところもっとも有力な方法の一つであることから、その必要性が多方面から注目されていると考えられる。

筆者の専門とする学問領域はスポーツバイオメカニクスである。バイオメカニクスを大雑把に説明すれば、力学的知見や方法を駆使して生体としての人間その 他を力学的側面から明らかにすることを目的とした知の体系と言える。また、スポーツバイオメカニクスはそれをさらに発展させて、スポーツにおいて極限的に 発揮される人間の身体運動の可能性や実践される場・環境(用具を含む)の影響までを含めて、スポーツ特有の問題に焦点を当てて知の体系化を図る学問領域と 言える。

スポーツバイオメカクスの役割~筆者の実践経験から
このようなスポーツバイオメカニクスの実践的価値は、次のようになろう。

(1) 力学という優れて体系だった理論的枠組みを考察の基礎に置くことができるので、比較的研究対象の本質に迫りやすい。

(2) 主としてヒトやモノの動きに焦点を当てており、運動観察という競技現場での指導実践の視点に近いので、共通言語の使い方によっては知の共有化を図りやすい。

(3) 「動き」を定量化・数値化できるので、コーチのいわゆる「観察」の機能を拡張することに有効で、かつ、動きの比較が容易である。

これらを簡潔に言えば、「動き」そのものに迫ることができ、スポーツにおける運動技術に着目した研究が可能であるということである。

これらのことを踏まえ、スポーツバイオメカニクスが競技力向上のために果たすべき役割について考えてみると、一つには、トップレベルの競技者がもつ優れた技術的特徴を明らかにするということである。

筆者は、1991年に東京で開催された世界陸上にバイオメカニクス研究特別班の一員として参加し、棒高跳の動作分析を主に行った。経験不足もあり(当時 はまだ大学4年生だった)、分析に多くの時間を費やしたものの、世界一流選手の技術的特徴の一部を明らかにすることができた。しかも、それが世界選手権と いう全ての選手が全力で挑む、ある意味では人類の可能性を試す場でのデータである。これによって、その後継続的に実施した日本選手の動作分析結果と一流選 手との比較が可能になり、多くの示唆を得ることができた。

二つ目の役割は、明らかになった技術的特徴を力学という基準をもとにして考察を深め、運動技術的観点から競技力をさらに発展させるための可能性を探求するということである。

前述した棒高跳は、当時はセルゲイ・ブブカという選手が第一人者で圧倒的な強さを誇っていた。しかし、実際に分析してみると、力学的には有効でない点や 非効率的と言える点がいくつか見出された。現在はブブカ選手は現役を退いているが、理論的にはさらに記録を伸ばせる可能性を有していたと思われる。

しかし、これは力学的観点からのみ加えられた考察であり、予見していたことが実現するかどうかがわからないところは、人間を主な対象とするスポーツバイオメカニクスの、ひいてはスポーツ科学の限界でもあろう。

スポーツ科学はスポーツに関する事象を明らかにするための有効な方法の一つではあるが、競技力向上のためのツールとして用いる場合には限界がある。次回の後編では、スポーツ科学の限界について考察し、スポーツ科学が競技力向上のためにどのようにサポートすべきなのか、筆者の姿勢(心構え)について述べる。


※本文は「月刊国立競技場」平成13年6月号に掲載されたものを転載しました。

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