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スポーツ医科学論壇

第2回 スポーツを考える (後編)


―前編では、スポーツが持つ本質を問いかけながら、体育、スポーツに科学が登場する過程やスポーツ科学の技法を紹介した。―

「支えるスポーツの科学」

船渡 和男(スポーツ科学研究部)



船渡和男 サッカー場の芝生を見ながら
昨年4月に、西が丘競技場の国立スポーツ科学センター設置準備室に赴任させていただいた。建設中の国立スポーツ科学センター(JISS)を望みながら ちょうど1年半仕事をしているが、私の窓越しには、いつもきれいに整備されているサッカー場が広がっている。
サッカー場の芝生管理の四季には感心させられる。昼休みに芝生の周りをジョギングしていて気がついたことは、サッカー場は縦長方向の中心線が高くなってい て、サイドラインに向けて勾配がつけられている。"規則的な傾斜"と"傷んだ所の部分的な芝の植え替え"そして両者の調整は誰が行っているのだろうか、と 非常に興味を持ち、西が丘職員のあるパーティー出席の折にいろいろな方にお伺いした。
その結果、「彼はその道のプロで彼に任せておけば大丈夫」と評判なのは、西が丘競技場管理課T氏であった。氏にお聞きしたところ、「昔のサッカー場は水はけを良くするために"かまぼこ型"の傾斜をかけている」とのことであった。


「観る」「する」「支える」一体に
私は、このようなスポーツを支える人の行為と私達のスポーツ科学研究に共通の仕事を感じている。「観る」、「する」スポーツ(注1)に加えて「支える」スポーツが一体化を目指すことがこれからの課題であるように思える。
つまりスポーツに限らず現代は、個々が独立した系の中で問題提起があり、その解決がこの系内で収束されることがしばしばある。個人に任された仕事は個人の 中で決着することは簡単であるが、そこで決着をみた仕事は全体としてどの様に決着(生か)されていくのか、ということが肝要になってくる。
結論として「観る」、「する」、「支える」人たちは、個々の自立を前提として、それぞれが孤立しない個人たちの参画、組織への意識があってこそスポーツが存在するのである。
折しも、シドニーオリンピックで金メダルを獲得した女子マラソンの高橋尚子選手や女子柔道の田村亮子選手の試合後のインタビューで、共通して「この金メダルは多くの人に支えられていて、感謝の気持ちでいっぱいです」という言葉が聞けた。


「国立スポーツ科学センターのプロ」 全体組織への意識を持って

国立スポーツ科学センター 西が丘には、JISSがそびえ立った。内部工事が急ピッチで行われている。この1年半JISS に関わる様々なプロに出会った。 建設省を中心としたグループでは、設計や建築のプロ達。彼らの強烈なリーダーシップのもと1日500人以上の職人さんが自分達の仕事を確実にこなしてい る。

JISS準備室では、準備室主幹のO氏のもと運営や経理に関する事務運用形体が整備されつつある。科学をいかに建設に生かすかと苦慮するY氏、調達や JISS運営を国家政策レベルで模索する視野をもつU氏、レストラン、栄養、ホテル運用に関して利用する選手の立場から設計を行うA氏。その他重要な事項 をかかえ、その処理に努力しているスタッフ。そして当然のことながらスポーツ選手を科学的側面から支援する研究員。

これらのプロ達は、決して孤立した系で物事を進めるのではなく、全体組織への意識があってこそJISSを支えていることになろう。このようなプロ達が1人でも欠けてしまうと、JISS準備室が機能しなくなることは言うまでもない。

以上、私個人のスポーツ科学考を身近な話題を交えて、考え思い付くままに述べさせていただきました。ご意見やご指摘をいただけたら幸いです。

(注1)「観る」、「する」、スポーツに関しては、スポーツ科学の中心的課題の一つである。主観と客観のやり取り、あるいは、両者の隙間を埋める技術や研究について述べなければならない。しかし、この記述は紙面の関係上割愛し、また別の機会に論じてみたい。



※本文は「月刊国立競技場」平成13年2月号に掲載されたものを転載しました。

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