第48回 |
古橋名誉会長の突然の訃報に驚く |
2009年8月10日 |
笠原 一也
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かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.
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8月2日の夜、7時のニュースで古橋日本水泳連盟名誉会長の急逝が知らされた。「うそだろう!」とインターネットでニュースを確認すると、正に古橋名誉会長の訃報であった。元気にローマの世界水泳選手権大会に出発したと伺っていたので、とても信じられない思いであった。
まったくの突然で、ローマでは前日の夜遅くまで元気に食事をされていたとの報道もなされていた。
私は、6月に辰巳プールで開催された水泳ジャパンオープンを古橋名誉会長と並んで2日間観戦することが出来た。その時、世界のスポーツ界の動向、日本の スポーツや東京オリンピック招致のこと、JOCや私が勤めるJISSのことなどスポーツに関する話題から他の事まで多くのことを話し、日本のスポーツの将 来を大変心配されていたことが忘れられない。
古橋名誉会長の功績については数多く報道されていたので改めて紹介しないが、今から考えると、昨年、我が国のスポーツ選手として初の文化勲章を授章された事は本当によかったと思ってしまう。
最近の名誉会長の様子を振り返ってみると、お元気だったしその健啖振りにも驚かされてしまうほどだったが、昨年の北京オリンピックでは相当疲れた様子 で、帰国後、気管支炎で入院もされている。「ほうって置くと死ぬこともある」と医者から脅されたよと笑って話をされていた。
JOC会長時代、1995年から私は事務局長として3年間お仕えした。その間、日本国内では福岡のユニバーシアード大会、長野オリンピックと2回も大き な国際大会が開催され、多忙の中にとても楽しく充実した仕事をさせてもらったことを思い出す。
特に、長野オリンピックの聖火をギリシャに一緒に受け取りに行ったことは生涯忘れることの出来ない思い出である。
私がJOCから離れた後も声をかけると気軽にご一緒してくれた。今年の5月下旬には、久しぶりにカラオケに誘ったら、楽しそうに5曲も歌われた。今年の 新潟国体では、日本そばを一緒に食べに行く約束までしていたのに、今から思うとこれが私にとって会長とのお別れの会になってしまった。
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