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岩上センター長のひとことコラム「散歩道でふと」

岩上前センター長のひとことコラム


05 06

投稿者: host
2011/05/06 9:39

 新名所が、ここ西が丘に誕生しました。JISS、NTCで汗を流すアスリート、指導者はもとより多くの皆さまが足を止め、じっくりと眺め、写真に収めたり、語り合い往時を偲ばれております。

平成5年に「文化功労賞」、平成20年にはスポーツ界としては初めての「文化勲章」の栄に浴されました古橋廣之進氏の功績をたたえる記念碑が、JISS正門脇に建立され、去る7月26日に苦楽を共にされました橋爪四郎氏をはじめとする水泳関係者、文部科学大臣、多数のスポーツ関係者が集いセレモニーが挙行されました。

古橋氏は、昨年8月2日、ローマでの世界水泳選手権開催中に80歳の生涯に幕を閉じられました。当日も1年前のローマと同様に暑い日差しが照りつける中での除幕式となり、参列された方々は、記念碑に刻まれた一言一句に食い入る視線を送っておりました。

平和の祭典として1886年にアテネを舞台に復活した近代オリンピック、2012年のロンドンで30回を数えることになりますが、オリンピック史上第6回、12回、13回の3大会が戦争により中止。尚且つ、戦後初の開催となる第14回ロンドン大会(1948年)も、日本にとっては国際舞台への復帰が認められずオリンピックの門戸は開かれませんでした。

泳ぐたびに世界記録を塗り替え勢いに乗る古橋氏も、この大時化による荒波の影響をまともに受け、悔しい思いをすることになります。当時の日本水泳連盟は、ロンドン五輪決勝の日程に合わせ全日本水上選手権を開催、古橋氏は400m自由形、1,500m自由形で金メダリストの記録を大幅に上回る世界記録を打ち立てていきます。
更に翌年の1949年には、全米選手権に招待され、ここでも世界記録を樹立し、世界に古橋の名を轟かせます。その活躍は日本全土を歓喜の包み、国民を勇気づけ、我が国の復興に向けた原動力にも繋がっていくことになります。当時のアメリカの新聞は「The Flying Fish of Fujiyama」と絶賛しております。

個人差はあれど何れかの時期に競技者はピークを迎えますが、そのピーク状態を4年先まで維持していくことは並大抵ではありません。前年の南米遠征の際に罹患したアメーバー赤痢による体調不良、相反して、いやが上にも高まる国民の期待の中での参加となった第15回ヘルシンキ大会、古橋氏は言うに言われぬ辛苦を味わうことになります。

古橋氏に関わる沢山のエピソードが残されていると伺っておりますが、厳しい世界情勢を肌で感じながら過ごした若き日に刻まれた思い、泳げることの幸せを噛みしめ、ほとばしる情熱を持って取り組むことの大切さが、この記念碑に凝縮されているのではないでしょうか。

戦争が終わって再び水泳が出来るようになった時魚になるまで泳ごうと思った私の目標は世界一になることだっただから人の何倍もの練習を苦しいとも思わなかった人間というものは大きな目標を持って一筋に努力し工夫し苦しみに耐えてこそ大きく成長していけるものだと思う泳心一路

百聞は一見に如かず、是非とも足を運んで頂き自問自答してみては如何でしょうか。


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