第27回 アーチェリーサポートについて

岩本 陽子(スポーツ科学研究部)



はじめに

国立スポーツ科学センター(JISS)のサポートサービスの中で、筆者が主に担当しているのは、アテネオリンピックで好成績を収めたアーチェリー競技で ある。この好成績で一躍世間の注目を浴びたのであるが、試合がテレビ中継されることも少なく、一般にはまだ馴染みの薄い競技と思われる。実は、医科学の立 場から見ても分からない点は多い。また、連盟((社)全日本アーチェリー連盟)からJISSにサポート要請があったのは2004年からなので、今年 (2005年)はサポート2年目である。JISS開所以来、多くの競技で医科学サポートの活用の方向性がある程度固まりつつある中で、アーチェリー競技に 対してはまだまだ模索中と感じる。しかし、本稿ではそれらの活動の中で徐々に見えてきた知見や課題を紹介したい。

公式試合中の心拍数計測から見えてきたもの

オリンピックで1対1のマッチ戦によるトーナメント方式が導入され10年以上が経った。それまでは4つの距離を36本ずつ射ち、その合計得点が競われる 方式で行われていた(写真1)。しかし、この方式では、観客は誰が勝っているのかが分かりづらいという難点があった。それに比べ、トーナメント方式は隣り 合った相手と1対1で試合をするので、どちらが勝っているか分かりやすく、メディア的にエキサイティングな競技となった(写真2)。同時にそれは、選手の 心理的な負担を増加させる結果にもつながったと言える。昨年度、今年度と希望者に対して、公式試合中の心拍数の測定を行った。その結果を図1に示した。日 本トップレベル2名の選手の、練習中、シングルラウンド方式(累計方式)、トーナメント方式での平均心拍数である。練習時よりもシングルラウンドで、さら にシングルラウンドよりもトーナメントでの心拍数が高いことが分かる。特にB選手についてはシングルラウンドにおいて、平均130拍、トーナメントでは 140拍以上にもなり、時には160拍以上になる局面も見られた。後で選手に聞いてみると、得点差がついてしまいやる気がなくなったという場面では心拍数 が下がっていたり、この人にだけは負けられないという相手と対戦する時は心拍数が上がっていたりなど、選手本人の感情ややる気といったものとの関係があり そうであった。いずれにしても、練習時と試合時でこんなに差があるのは問題であろうと考え、選手にはデータをフィードバックすると共に、(1)射つ前にラ ンニング等で心拍数を上げて練習する、(2)リラクセーション法等で心拍数を抑えるトレーニングをする、といった練習方法の提案を行った。

写真1. 累計方式の競技の様子 (選手が一列にならび、いっせいに射的を行う。)
写真1. 累計方式の競技の様子
(選手が一列にならび、いっせいに射的を行う。)
写真2. トーナメント方式の競技の様子 (1対1で争われ、得点が選手の前に表示される。)
写真2. トーナメント方式の競技の様子
(1対1で争われ、得点が選手の前に表示される。)

図1. 日本トップレベル2名の選手の、練習中、シングルラウンド方式(累計方式)、トーナメント方式での平均心拍数。両選手共、練習時よりもシングルラウンドで、さらにシングルラウンドよりもトーナメントでの心拍数が高いことが分かる
図1. 試合中の心拍数

また、この結果を、ナショナルチームに対して栄養とトレーニングに関する講習会を担当するスタッフに見てもらった。心拍数は、運動だけでなく、いわゆる あがりやプレッシャーといった心理状況にも反応するので、ある程度は予測できた結果ではあった。しかし、予想以上に高い心拍数を一日中維持していることが 分かったので、集中力の欠如につながらないような栄養上の注意点を指導してもらった。

このように心拍数という非常にシンプルな測定ではあるが、いろいろな課題が見えてきた。ただ、これらの課題が競技パフォーマンスにどこまで直結するのか は定かでない。競技パフォーマンスを最大限発揮するにあたり、マイナス要因をつぶす作業の一つでしかないと思っている。

課題の明確化に向けて

ではアーチェリー競技のパフォーマンスを左右するものとは何か。実は、現在のところそれに対する明確な答えがないのが正直なところである。その原因とし て(1)現象が細かすぎて科学的手法では捉えきれない、(2)個人差が大きい、といったことが考えられる。

サポートを始めるにあたり、我々科学者の最初の役目は、現象を捉えることであると思う。さらに言えば科学的な手法を使っていかに捉えるか、だと思うのだ が、トップアスリートの世界は必ずしも科学的な手法では捉えきれない部分がある。アーチェリーの動作もそのような面があると思う。アーチェリーは、どんな 場面でも安定したシューティングを行うことが重要と考えられる。トップ選手の動作の再現性を高速度カメラでチェックしてみると、何回試技を行っても、素人 から見るとほとんど同じ動きにしか見えない。しかし、選手やコーチにその映像を見せると、1試技1試技の微細な差を感じ取ることが出来るようである。おそ らく射った時の感覚と映像を頭の中で照らし合わせながら、違いを感じているのであろう。

また、アーチェリーのような個人競技の場合、個人の技術は個人の持つ骨格や筋力などの特性に影響を受けるため、上手な選手の特徴を一般化するという科学 的手法が非常に取りにくい。そこで、全日本選手権などの国内主要大会、強化拠点やJISSで行われる強化合宿の際には選手個別に映像を撮影し、そこに多少 の加工を加え、フィードバックしている。課題が異なる個人個人の要望に全て対応していくことは現在のJISSのキャパシティでは困難なのであるが、映像と いう気付きの題材を提供し、蓄積することにより、選手自らが自分の原理・原則を導き出すことを狙いとしたサポートを行っている。

こういった活動を積み重ねる中で、アーチェリー競技のパフォーマンスを左右する要因については、一般的な原理・原則を見つけ出すというよりも、個人のパ フォーマンスの変動に影響を及ぼす要因を探る方が有用であると感じる。今年度、医・科学研究事業において(社)全日本アーチェリー連盟と共同で行っている 研究があるのだが、「射つ瞬間に何が起こっているか」を心電図、呼吸曲線、筋電図、重心動揺、映像などの様々な指標から捉えようとしている。図2に示すよ うに、競技パフォーマンスを発揮する根底には、選手の心・技・体それぞれの特性や能力があるだろう。何をどのように測るかは測定の目的によって様々である が、選手のできばえや感じと、それぞれの現象との対応関係を重要視して分析を進めている。これらの対応関係は、実際の試合ともなれば、試合展開や道具の状 態、天候といった事象に影響を受けることになるし、そうなるとますます科学的手法では捉えられない現象になると思うが、まずは何が手掛かりになるのかを 探っていきたいと考えている。

図2. パフォーマンスに関わる要因は何か?(研究B概念図)心・技・体それぞれの特性や能力が競技パフォーマンスを発揮する根底にあり、当日は試合展開や道具の状態、天候、相手選手といった事象の影響を受け、パフォーマンスの出来を左右することになる。その上で、選手のできばえや感覚とそれぞれの現象との対応関係を重要視して分析を進める。
図2. パフォーマンスに関わる要因は何か?(研究B概念図)


おわりに

このようにアーチェリーに対するサポート活動はまだまだ手探り状態である。しかし、活動を進めれば進めるほど、JISSがどこまでその競技の活動に入り 込むべきか、迷うことは多い。JISSのサポートサービスは、強化の責任組織である競技団体の指針に基づくものであり、あくまで強化方針に沿うものでなけ ればならない。そのため、JISSのサポート活動の発展は連盟の発展と共にあるといえよう。相互に発展し、北京オリンピックへの競技力向上へ寄与したいと 思う。


※本文は「国立競技場」平成18年1月号に掲載されたものを転載しました。

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