第3回 釜山アジア大会日本選手団医学サポート はじめに 前号では、第14回釜山アジア大会日本選手団における「情報チーム」の活動内容が紹介されたが、本大会初の試みであった「情報チーム」編成が、国際競技大会における一戦略として重要であり、今後の発展が期待される分野であることを実感されたことと思う。 日本選手団には、「医学サポートチーム」も帯同しており、我が「JISS」のスポーツ医学研究部(以下『JISS医学』)からは、常勤・非常勤を併せる と、多くのスタッフがサポート活動に従事した。本号では、その活動内容を御紹介させていただく。 チームJAPAN 前回大会までは、日本選手団本部医務班は医師2~3名、トレーナー数名といった比較的少人数で構成され、それ以外は 競技団体独自で医師やトレーナーを帯同させるスタイルをとっていた。今大会では、メディカルスタッフの有効な活用を目指し、競技団体より帯同を推薦された 医師全員が日本選手団「本部」医務班として組織され、全期間にわたり選手村に滞在し、推薦を受けた団体の競技期間以外には、他の競技のメディカルサポート にあたるといったスタイルが導入された。 この新しいスタイルの本部医務班は「チームJAPAN (medical staff)」と命名され、医師19名(内科6名、整形外科10名、形成外科1名、神経科1名、救命科1名)、トレーナー3名、獣医1名の計23名で構成 された。上記メンバーのうち、実に1/3の8名が、我が『JISS医学』の常勤、もしくは非常勤スタッフであった(表.1)。 表.1 アジア大会メディカルスタッフチーム(Team Japan MD staff network) | 氏名 | 役職・競技 | 担当競技 | 専門 | 所属 | 1 | 河野一郎 | 本部役員 | 本部 | 内科 | 筑波大学体育科学系 | 2 | 内山英司 | 本部員 | バドミントン、ソフトボール、バスケット | 整形外科 | 関東労災病院・JISS非常勤 | 3 | 赤間高雄 | 本部員 | ホッケー、アーチェリー、セパタクロー、ボディビル | 内科 | 日本女子体育大学・JISS非常勤 | 4 | 内田彰子 | 本部員 | 新体操、シンクロナイズド、自転車 | 形成外科 | 国際科学振興財団・・JISS非常勤 | 5 | 松田直樹 | 本部員 | | トレーナー | 国立スポーツ科学センター(JISS) | 6 | 桑井太陽 | 本部員 | | 鍼灸・トレーナー | 国立スポーツ科学センター(JISS) | 7 | 杉山ちなみ | 本部員 | | トレーナー | | 8 | 野田晴彦 | 陸上 | 陸上、体操、ソフトテニス、ボウリング | 内科 | 川崎市生涯学習振興事業団 | 9 | 金岡恒治 | 水泳 | 競泳、飛び込み | 整形外科 | 筑波大学附属病院・JISS非常勤 | 10 | 大野拓也 | サッカー | サッカー(男子) | 整形外科 | 山梨赤十字病院 | 11 | 白木明 | バレーボール | バレーボール、ビーチバレー | 整形外科 | 白木整形外科 | 12 | 桜庭景植 | バスケット | バスケット | 整形外科 | 順天堂大学 | 13 | 福田潤 | ラグビー | ラグビー | 整形外科 | 藤沢湘南台病院 | 14 | 加藤公 | ハンドボール | ハンドボール | 整形外科 | 三重大学 | 15 | 大庭治雄 | 野球 | 野球、ボート、カヌー、ボディビル | 内科 | 国立スポーツ科学センター(JISS) | 16 | 中嶋耕平 | レスリング | レスリング、フェンシング、ウエイトリフティング、空手 | 整形外科 | 国立スポーツ科学センター(JISS) | 17 | 宮崎誠司 | 柔道 | 柔道(男女) | 整形外科 | 横浜新緑総合病院 | 18 | 清水寛 | ライフル | 射撃、太極拳、近代5種 | 神経科・神経内科 | 東洋病院 | 19 | 武田淳史 | ビリヤード | ビリヤード | 内科 | 群馬パース学園 | 20 | 小林裕幸 | 自転車 | 自転車 | 内科 | 防衛医科大学病院 | 21 | 鈴木研一 | 陸上 | 陸上 | 救命救急科 | 緑の街診療所 | 22 | 小田治男 | サッカー | サッカー(女子) | 整形外科 | 小田医院 | 23 | 小山香 | 馬術 | 馬術 | 獣医 | 埼玉県 | 派遣前メディカルチェック オリンピック、アジア大会、東アジア大会、ユニバシアードなど日本代表選手団として大会に参加する(予定の)選手は、 派遣前に全員メディカルチェックを受ける。JISS開所以前は日本体育協会スポーツ診療所において行われていたが、これらの業務は更に内容を発展・充実さ せた形でJISSが引き継ぐ事となった。JISSにおける派遣前チェックは、2002年2月に開催されたソルトレーク冬季オリンピック競技大会より行われ ているが、日本選手団としては最も規模の大きいアジア大会派遣前チェックは、JISSにとって初めての経験であった。 JISSでの派遣前メディカルチェック施行の利点としては、チェックの質的向上が挙げられる。即ち、従来は画像診断は単純X線のみしか行えず、診療科目 においても選手全員に対しての歯科チェックが行えなかったり、内科医、もしくは整形外科医のいずれかのみで複数科のチェックも兼ねる場合もあった。 JISSではチェック当日にMRI、CT、超音波断層撮影も可能であり、内科、整形以外に歯科のチェックも完全に遂行され、曜日によっては婦人科、耳鼻 科、眼科、皮膚科など特殊専門領域科目の受診が可能となった。 釜山アジア大会における実際の参加選手数は658名であったが、JISSで派遣前メディカルチェックを受けた選手数は796名にのぼり、2002年5月20日から9月20日までの約4ヶ月間(実日数58日)に渡って行われた(表.2)。 表.2 派遣前メディアカルチェック受診者数と大会参加選手数 | 派遣前メディカルチェック受診者数 | 大会参加選手数 | 男性 | 497 | 397 | 女性 | 299 | 261 | 合計 | 796 | 658 | この派遣前チェックによる各選手の医療情報は、競技期間中は本部医務班が把握、管理する必要がある。従来は全選手のカルテのコピーを持参していたようだ が、膨大な量の情報を紙ベースで運用することは効率が悪く、本大会ではJISSでの派遣前チェック施行時に電子カルテ上に入力された医療情報から必要な データを抽出し、出発前に担当医師に集計した情報を提供することとした。 医薬品調達 本部医務室運営にあたり、診療に必要な医薬品を調達、管理する必要があるが、今大会では本部医務室としての規模が拡大 されたため、その管理も複雑なものとなる。『JISS医学』の薬剤部(本波節子薬剤師)では、遠征時の医薬品の調達もその業務に含まれ、今回、本部医務室 の規模拡大に対応すべく、選手村搬入後、すぐに薬剤棚として使用できる特注の専用スーツケース型薬品棚が導入された。これは、複数のドクターによる煩雑な 薬の出し入れ作業や、長期間の薬剤管理といった条件下でも整頓が保たれ、帰国時の梱包作業の手間も無くなるため、多くのメディカルスタッフから好評であっ た。 トレーナー・リハビリ関係 本部医務班のトレーナーは3名(このうち2名が『JISS医学』スタッフ;松田直樹研究員、桑井太陽契約職員)で構成 され、本部医務室内にオープンスタイルのケアールームが設けられた。ここではチームに帯同トレーナーのない選手はもとより、各競技団体単位では設置困難な 治療機器も整備されているため、帯同トレーナー同伴での治療スペース利用や、必要に応じて治療機器の貸し出しも出来るよう配慮がなされた。 この空間は、時に選手団本部の「情報ステーション」の分室の如く、異なる競技選手間の情報交換の場にもなっていたようで、選手が肉体的にも精神的にもリラックス&リフレッシュ出来る空間の需要は大きかった。 本部医務室診療関係 メディカルチェックがJISSの常勤スタッフを主体としてなされ、尚かつトレーナーを含め、多くのJISSスタッフが日本選手団に帯同したことで、程度に差はあるものの、接したことのある選手が多く、選手にとって本部医務室は利用しやすかったのではないかと思われる。 さらに、医務スタッフには、様々な専門科目の医師が含まれているため、症例に応じた専門医療が行えるというメリットがあり、本大会ではその効果が充分に 発揮されたと言って良い。すなわち、専門科目外の疾患に遭遇した医師は、容易に他の専門医師スタッフに診療を依頼することができるるため、適切な初期治療 が可能となった。 今大会にはJISS常勤医師が2名帯同していたこともあり、「本部情報チーム」の協力を得て、試験的にJISSにおける診療端末との接続を試みた。 ただし、診療端末には選手の個人情報、医療情報が含まれるため、今回は接続が可能であることを確認するにとどまった。医療情報の電子化は、まさに遠隔地 (遠征地)でその効果を発揮すると思われ、選手のメディカルチェック記録や診療記録が詳細に把握できることは、適切な治療方針の決定にも役立つと考えられ る。一方、選手の個人情報や医療情報の扱い方や通信の安全性などについては今後、充分な配慮と対策が求められる。 ドーピング関係 ドーピング検査は大会組織委員会側によって行われる競技会場内検査と、世界アンチドーピング機構(WADA)によって 行われる競技会場外の抜き打ち検査が行われたが、前者は各競技において上位入賞者を対象に行われ、後者は日本選手団では野球チームを対象に行われた。ドー ピング検査は年々厳密なものとなっており、本大会では従来申請が義務づけられることの少なかった痛み止めとしての局所麻酔薬の使用に際しても、事前申告が 要求されたため、書類の準備に追われる担当医師が多かった。 検査の際には、可能な限り本部医師が選手に付き沿う体制をとり、決勝進出などの際には、予め医師が競技会場に赴き検査時の手続きをサポートした。医師が 検査に付き添うことでドーピング検査官(医師)も安心するためか、検査進行に難渋するケースは見られなかった。選手単独やコーチ付き添いで検査に臨んだ他 国の選手では、検査官とのやりとりなどで意志の疎通がはかれず、スムーズに検査が進まないケースも見受けられた。 現地での医療体制 選手村内には「Polyclinic」が設置され、内科、外科、整形外科、皮膚科、眼科、歯科耳鼻科、歯科の外来診療体制と血液検査、レントゲン検査設備が用意されており、無料で診療を受けることができる。また、大会組織委員会に医師として申請している選手団医師は、自国の選手を対象に、その設備を利用して検査の指示や薬剤の処方が可能であった。今大会では骨折症例も見られ、Xp検査の為にクリニックを利用したケースも数例あった。 「Polyclinic」で対応困難な症例や、競技会場などで診療が必要となった場合には、大会組織委員会が用意した後方支援病院へ搬送され、しかるべき医療が受けられるシステムとなっていた。 おわりに 冒頭でも述べたが、夏期アジア大会はJOCが派遣する日本選手団としては最大規模の大会であり、JISSによるサポー ト体制としては開業以来初の大仕事であったと言える。日本選手団における医学サポートに関しては、今回の体制は斬新かつスマートなものであったが、そこに 含まれた内容は非常に濃縮され、まさに合理化の図られた体制であったと思われる。 大会期間中においても、この体制を維持するためには、やはりJISSによる「Logistics(後方支援)」は欠かすことが出来ないものであると実感した。今後は更にその内容について掘り下げた検討を行い、次回大会に臨みたい。 ※本文は「月刊国立競技場」平成15年2月号に掲載されたものを転載しました。 |