ツルのひとこと

 

ツル 浅見前センター長の
ツルのひとこと
バックナンバーはこちら>>

第14回 予測と予断

浅見 俊雄

 

  浅見俊雄イラスト
  あさみ・としお
1933年生まれ.
国立スポーツ科学センター長.
(財)日本サッカー協会顧問、
アジアサッカー連盟規律委員会委員、文部科学省中央教育審議会委員など.

 私は長らくサッカーの審判員を務めていたが、審判をする時の私自身の心が けの一つに、「『予測』はするが、『予断』は持たない」というのがあった。予測は将来こんなことが起こりうると推測することであるのに対して、予断はあら かじめこういうことが起こるに違いないと決めつけてしまうという違いがある。

 チームや競技者が、事前に対戦相手の様々な情報を収集して戦い方の計画を立てるのと同様に、審判も両チームの戦術や競技者の特徴をよく知った上で、プ レーがどう展開しそうか、どんなことが起こりそうかを予測しながら、ゲームを読んで動き、起きた事象に的確な判断を下すことが求められている。そういう予 測は必要だが、このチームは、あるいはあの選手はこういうことをするに違いないと思い込んでしまってはいけないということである。こうした予断を持ってし まうと、あきらかに反則をされて倒れたのに、またあの選手はわざと倒れて反則をもらおうとしていると見えてしまって、反則された被害者なのに、イェロー カードを出してしまうとうことになりかねないのである。

 社会生活の中での人との付き合いでも、まったく同じことがいえるだろう。あいつは何時も約束の時間に遅れるからと、こっちも遅れていって、相手が先に来 ていたというのでは、相手に時間を守らなければという気持ちがあったとしても、次回はまた遅れてくるというようになってしまうだろう。何時も遅れる相手に は、遅れないようにしろよという一言もかけられるだろうが、自分も遅れたのではそれもいえなくなってしまう。これではよい友人関係や信頼関係は築けないだ ろう。

 付き合う仲間の長所、短所は客観的に把握しておくべきだし、それをもとに相手の行動を予測して対応を考えておくのはいいが、予断を持ってしまうと真実が見えなくなって、こちらの対応も紋切り型のものになってしまうだろう。

 社会の中で行動するときには、情報は十分に持ちながらもそれに縛られることなく、起きた事象を客観的に見極めて、柔軟かつ適切な対応をすることが大切だ と思うのである。予測に基づく気配り、目配りは必要だが、予断を持ったり、先入観にとらわれてはならない。

ページトップへ