第14回 |
生兵法は大怪我のもと |
2006年8月3日 |
笠原 一也
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かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.
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私の前の勤務は東京女子体育大学であり、水球部の部長も勤めていた。私の水球部長時代には女子インカレで3連覇、全国女子水球競技大会でも準優勝もしており、日本女子水球の強豪チームなのである。
私が指導していたのかと言われるとそうではなく、練習場所と指導は藤村女子高校の永田先生にお任せなのであった。
私も日本スポーツ振興センターホームページでの自己紹介の折、競泳と水球の選手だったことは述べたとおりで、水球の指導をしても不思議ではないのだが、大学では水球指 導でプールサイドに立つことはなかった。ところがその藤村女子高校には高校生のチームがあり、OGで構成するクラブチームもあって、永田先生一人で指導に 当たっているが、試合では3つのチームのベンチには座ることは出来ない。
そこで、一昨年の全国女子水球競技大会では私が監督としてベンチに座ることになったのである。試合ではベンチから知ったかぶりしてアドバイスなどしてい たので、日本水泳連盟の林会長はじめ関係者の皆から冷やかされていたのだが、我が大学のチームは当然勝ち上がって、決勝は東京女子体育大学のOGを含む藤 村のクラブチームとの対戦となった。
決勝戦も知ったかぶりして、「OGチームは練習不足でもあるから、泳ぎまくって疲れさせれば勝ちが見えてくる。」などとアドバイスをした。結果はそのとおり行かず、最後に逆転されて負けてしまった。
試合後のOGの話では、「後輩達は前半から泳ぎまくってくるだろうから、どんどん泳がせて疲れさせ、自分達は力を貯めておいて最終の第4ピリオドで力を 思いっきり発揮しようという作戦で臨んだら、最後、後輩達の息が荒くなったのでしめたと思った。」と言われてしまった。
実力がありながら勝てなかったわけで、まったくの作戦ミス、俄か監督のアドバイスの失敗である。普段練習も見もしないのに知ったかぶりでのアドバイスを したばっかりに勝ちを逃してしまったのである。正に「生兵法は大怪我のもと」の故事を体験することになってしまった。
でも性懲りもなく、その後「俺は全国準優勝チームの監督だ!」とあちこちで吹聴していたのも事実である。
変な部長がいなくなった東京女子体育大学水球部は、昨年、今年と見事に全国女子水球競技大会に連続優勝し全国一に輝いたのであった。
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