第9回 |
イチロー選手との思い出 |
2006年3月3日 |
笠原 一也
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かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.
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イチロー選手を育てたオリックスの仰木監督が昨年12月に他界された。その仰木監督とイチロー選手に出会ったのは、1994年、イチロー選手が200本安打記録を達成したことがキッカケである。
当時、文部省競技スポーツ課長だった私の所へ、イチロー選手が1シーズンで200本安打記録を達成したことで、総理官邸から何か表彰しなければとの連絡 があった。イチロー選手は今後更なる活躍が期待される選手なので、特別な表彰より総理のコメントのほうが良いのではと提案したら、神戸球場でのホームゲー ムの途中、当時の村山総理大臣のコメントが大型スクリーンに映し出されたのである。
シーズン終了後、その時のお礼にとイチロー選手と仰木監督が総理官邸に村山総理を訪れた。私も文部省の担当課長として同行したのである。総理大臣はイチ ローからプレゼントされたバットで打つ真似をしたら足の位置がおかしかったので「総理、軸足が違っている」とのイチロー選手の指摘がTVや新聞などで取上 げられて話題となった。その時、仰木監督がイチロー選手のことを、「スマートに見えるが背中の筋肉が凄いですよ」といっていたことが忘れられない。
翌年、私が秋田に出張した時、オリックスのチームとホテルが偶然にも同じで、イチロー選手に会えるかと思ったが外出中だった。そこで、イチロー選手宛に、私が文部省競技スポーツ課長からJOC事務局長に務めが変わったことをメモで残した。
その年の暮れ、アメリカンクラブで古橋JOC会長とイチロー選手が表彰されることとなり、私も会長に同行したのでイチロー選手に会うことが出来、ホテルでのメモの話をしたら、覚えてくれていた。
有名選手のちょっとした気配りでもファンは嬉しいものである。以来、礼節を知る選手として関心を持ち、彼のそのような姿勢が大リーグでも大活躍出来る要 因ではないかと思っている。その時貰った二人のサイン入り色紙は我が家の数少ない宝物として居間に飾ってある。 |