2004年8月、ギリシャで行われた第 28回アテネオリンピックで、日本はオリンピック前の予想を上回る史上最多の37個のメダルを獲得した。日本競泳陣も奮起し、3個の金メダル含む戦後最多 の8個のメダルを獲得し、アメリカ、オーストラリアについで競泳の国別メダル獲得数では3番目に入った。「アテネの空に日の丸を」を合言葉にチーム全員が 一致団結し、一人も故障者を出さずにオリンピックを迎えられた事、そして初日から出場した北島康介選手の活躍が選手団に勇気と勢いを与えた事などが好成績 に繋がった要因であった。
私は、このチームに勢いを与え、史上初となる個人種目において2つの金メダルを獲得した北島選手に対し、彼が中学3年生の時から科学的サポート活動を行 う幸運に恵まれた。しかし、実際には北島選手の担当コーチに対してサポート活動を行ったのが始まりで、初めから前途有望なジュニア選手を発掘し、サポート 活動を行えてきた訳ではない。ここに、出会いからアテネオリンピックまで、一人の研究者と選手・コーチとの歩みについて紹介したい。
北島康介選手との出会い
北島選手の担当コーチである平井伯昌コーチから、彼の所属する東京スイミングセンターの強化選手に対して科学的な測定をお願いされたのが彼への科学的サ ポート活動の始めであった。様々な科学的測定を行ってはみたものの、平井コーチから「北島康介とオリンピックを目指す」と言われるまで、北島選手の存在を 強く意識したことはなかった。
彼を選んだ理由を尋ねると「目がいい」と科学的な根拠から遠く離れた一言であった。その後、体力測定などを重ねていっても、生理学的側面から見たデータ にしても、他の選手と比べて劣りはすれ、秀でているものは見出すことができなかったが、時々見せる眼光の鋭さは非凡な物を感じさせた。そんな状態でも高校 1年のインターハイでは、スケールの大きさを感じさせるテンポのよい泳ぎで、前半から飛び出していくレースを展開し、素晴らしいタイムで優勝していた。
これは、高い集中力と技術の高さ、身体へのトレーニングの未知なる可能性を示しており、この頃、北島選手の今後の可能性について平井コーチと議論し、2 年後に控えたシドニーオリンピックへの道が明確に見えてきたことを覚えている。さらに、その念願が叶い、日本新記録で代表権を獲得したシドニーオリンピッ ク直前、彼の仕上がり具合を確認しようと水中練習を見学に行った時、彼はひとかきひとけりを含め3かきで25mを泳ぎきってしまった。この光景を見た時、 その後のトレーニングビジョンが鮮明に浮かび上がり、平井コーチと技術面・体力面共にまだやり残していることが多々あることを確認し、近い将来、世界の頂 点に立つ日が訪れることを予感した。
競技力と共にスタッフの知識も向上
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この科学的サポート活動の内容も、北島選手の競技成績と共に年を追う毎に進歩してきた。サポートを始めた当初は、私の専門分野が運動生理学であったた め、トレーニング中の運動強度を生理的指標から明らかにすることが目的であった。各種科学的測定を行っていくと、それまで曖昧であったトレーニングメ ニューへの認識が明確となり、トレーニングに対する疑問点が浮き上がってきた。平井コーチからの質問も、初めのうちはそれまで勉強してきた知識を基にその 場で答えることができたのだが、それも一時のもので、勉強熱心なコーチが相手となるとすぐに教科書を手にしながらの対応となった。トレーニングに対しての 議論が進んでくると今度は教科書にもその答えが見つからなくなり、研究論文を探したり、その分野の研究者に答えを求めるようになった。
さらに、JISSが設立されて私も契約研究員として採用され、また北島選手を中心としてのサポートも開始されて多角的なサポートが行われるようになる と、コーチからの質問はとても高度なものになり、どの研究者に聞いても明確な答えが返って来なくなった。この状態に至るまで数年かかったが、この時初め て、トレーニング面に関して世界で戦える準備が整ってきたことを実感したものである。
この議論は、トレーニングメニューについてばかりでなく、レース展開やトレーニング環境についても行っていた。その中に高地トレーニングがあった。
当時、高地トレーニングは「持久系の選手の為のトレーニング」といわれ、競泳選手へのトレーニング環境としては疑問視されており、まして短距離系の選手 には不向きだと思われていた。しかし、先行文献や高地環境を勉強していくうちに、競泳選手にもトレーニングの仕方によっては効果が期待できる事を確信し、 1999年から短距離系の北島選手に対して高地トレーニングを導入した。
導入初期は事前に調査した知識を基に、実際に高地環境で起こっている現象の確認がメインであり、起床から就寝までの生理的反応をできるだけモニタリング し、現状の把握に努めた。その結果、低酸素という環境を如何に有効に利用できるトレーニングメニューを組むことができるかが重要ということが解り、その時 々の目的によって、トレーニング期間や日程を調整するまでになった。
しかし、高地トレーニングをすれば誰もが強くなれるのではなく、平地でのトレーニングよりも、よりきつい低酸素環境でのトレーニングに打ち勝つことがで きる強い精神力があってこそ、その効果も大きくなる。北島選手はコーチがストップをかけなければならない程、トレーニングで全力を出すことができるため、 高地トレーニングを行った後の試合で、常に好成績を収めることができているのであろう。
良いサポート活動とは?
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写真3 |
金メダル(100m・平)を手にする平井コーチと北島選手 |
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私はサポート活動を行う際に、いつも「良いサポート活動とはどういうものか」と自問自答している。良いサポート活動とは、結果的にサポートの対象となる 選手のパフォーマンスが、選手・コーチの目指すもの、もしくはそれ以上の結果を得ることであろう。
この目的の達成のために心がけていた事は、時間がある限りトレーニング現場へ足を運ぶことであった。また、各種測定は計画的に行うことも大事だが、実際 には「知りたいときが測定するとき」であり、臨機応変に測定するよう心がけてきた。これにより共通の問題意識を持つことが可能となり、より効果的なサポー トを行うことが可能になったと考えている。
さらに、科学的手法を用いて客観的に現象を捉えるのだが、このデータの解釈は、先行研究や文献などでいわれている事に固執し過ぎないようにすることであ り、実際に目の前で起こっている現象に対し、冷静に分析することが重要である。また、選手へのフィードバックにはモチベーションが高くなるよう配慮し、今 後のトレーニング方針も考慮にいれ、コーチの指導がし易くなるような前向きな表現を用いることを心がけている。
平井コーチとは、激しい議論を戦わせてきた。時には、あえて苦言を呈することもあった。しかし、粘り強く私の意見に耳を傾けてくれて、一緒に夢を追えたことをとても光栄に思っている。
とりあえず、一つ目の夢は達成した。二つ目の夢の達成のため、これからもより良いサポート活動を目指し尽力していきたい。
※本文は「国立競技場」平成17年1月号に掲載されたものを転載しました。 |