川原 貴(スポーツ医学研究部)
はじめに
第28回オリンピック競技大会・アテネ2004が近づいてきた。2000年シドニー大会では、柔道男女以外でも、マラソン、競泳、ソフトボール、シンク ロナイズドスイミングなど女性の活躍があり、低迷する日本スポーツ界に活気を与えた。アテネ大会では女子レスリングが新たに加わり、男子でも陸上、競泳、 体操などシドニー大会以上の活躍が期待される。
世界における選手強化の流れとオリンピックでの成績
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図1 |
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夏季オリンピック大会における各国金メダル数の推移 |
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東西冷戦のもと、ソ連、東ドイツを始めとする旧社会主義国は、国の政策としてトップ競技者の育成を図り、1970年代にはオリンピックでメダル獲得上位 を占めるようになった。そのあおりを受け、1976年モントリオール大会では、アメリカはソ連、東ドイツに抜かれて世界3位となり、その他の自由主義諸国 の成績も軒並み低下した(図1)。これに対し、自由主義諸国はナショナルトレーニングセンターや医科学センターを設置し、国レベルでトップ競技者の育成・ 支援に取組むようになった。モントリオール大会で金メダル0に終わったオーストラリアは、1981年にナショナルトレーニングセンター(AIS)を設置 し、2000年のシドニー大会では金メダル16個を獲得、世界4位にまで躍進した。最近では多くの国が政策として強化に取組み、メダルを獲得する国の数は 年々増加しており、それだけ、オリンピックでメダルを獲得することが難しくなってきている。
オリンピックにおける日本の成績と選手強化
日本は1964年の東京大会では国をあげて選手強化を図り、金メダル16個を獲得し、アメリカ、ソ連についでメダルランキング世界3位の成績をあげた。 東京大会で実施された強化はシステムとしては残らなかったが、モントリオール大会までは10個前後の金メダルを獲得し、世界5位以内の成績を維持してい た。しかしながら、1988年ソウル大会では金メダル4個で世界13位、1992年バルセロナ大会では金メダル3個で世界17位、1996年アトランタ大 会では金メダル3個で世界21位と低落傾向が続いた。
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男女
合計 |
男子
メダル数 |
女子
メダル数 |
男子
メダル種目 |
女子
メダル種目 |
金 |
銀 |
銅 |
総数 |
金 |
銀 |
銅 |
総数 |
金 |
銀 |
銅 |
総数 |
金 |
銀 |
銅 |
金 |
銀 |
銅 |
88年
ソウル |
4 |
3 |
7 |
14 |
4 |
2 |
5 |
11 |
0 |
1 |
2 |
3 |
柔道1
レスリング2
競泳1 |
レスリング2 |
柔道3
体操2 |
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射撃1 |
シンクロ2 |
92年
バルセロナ |
3 |
8 |
11 |
22 |
2 |
4 |
7 |
13 |
1 |
4 |
4 |
9 |
柔道2 |
柔道1
陸上1
体操1
射撃1 |
柔道2
体操2
レスリング1
射撃1
野球1 |
競泳1 |
柔道3
陸上1 |
柔道2
シンクロ2 |
96年
アトランタ |
3 |
6 |
5 |
14 |
2 |
3 |
2 |
7 |
1 |
3 |
3 |
7 |
柔道2 |
柔道2
野球1 |
レスリング1
自転車1 |
柔道1 |
柔道2
セーリング1 |
柔道1
陸上1
シンクロ1 |
00年
シドニー |
5 |
8 |
5 |
18 |
3 |
2 |
0 |
5 |
2 |
6 |
5 |
13 |
柔道3 |
柔道1
レスリング1 |
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柔道1
陸上1 |
柔道1
競泳2
シンクロ2
ソフト1 |
柔道2
競泳2
テコンドー1 |
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表1 |
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ソウル大会以降のオリンピックでのメダル数と種目の推移 |
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表1はソウル大会以降の日本のメダル数を示している。シドニー大 会は金メダル、メダル総数ともソウル大会を上回り、世界15位と復調の兆しがあるように見える。これは女子の躍進によるものであるが、女子柔道、ソフト ボールなど新たに種目が加わった要素もある。ソウル大会と種目を同じにして比較すると、シドニー大会のメダルは13個となり、ソウル大会に届いていない。 これは、ソウル大会に比べて男子のメダルが半減したためで、ことに柔道以外の男子の種目ではソウル大会で7個のメダルがシドニー大会ではレスリングの銀メ ダル1個のみという散々の成績であった(図2)。スポーツニッポンの復活は、男子の奮起にかかっている。日本のスポーツ界は、このままでは世界に遅れをと るという危機感を1970年代後半には持っていたが、1980年モスクワ大会は日本不参加、1984年ロスアンゼルス大会は社会主義国不参加となり、 1986年のソウルアジア大会で韓国の後塵を拝するという形で表面化するまでは、新たな国の政策には繋がらなかった。ソウルアジア大会の惨敗を受けて、オ リンピック強化指定選手制度、スポーツ振興基金が発足し、国立スポーツ科学センターの計画が動き出した。2000年には文部省がスポーツ振興基本計画を策 定、2001年には国立スポーツ科学センターが完成した。また、現在ナショナルトレーニングセンターの計画が進められている。
オリンピックでの成績
実力のある選手でもオリンピックで成績を出すのは難しい。オリンピックは4年に1回しかない。その大会に自分のピークを持っていくのは、容易なことではな い。また、選手の成長過程とのめぐり合わせなど運の部分もある。柔道では、前年の世界選手権のチャンピオンがオリンピック本番で金メダルを獲得する確率は 2~3割だそうである。
ケガや故障で実力を出せない選手も少なくない。日本代表選手のメディカルチェックで何らかの故障を持つ選手は5割程度おり、競技に支障がある故障は1割程度みられるのが通常で、医学的ケアも重要な要素となる。
世界中から注目されるオリンピック大会本番では、心身のストレス が大きく、コンディションをいかに維持するかも重要である。時差、気候、衛生状態、食事、生活環境、トレーニング環境、メディア取材などコンディションに 影響する要因には様々なものがある。上り坂の若いうちにオリンピックを1度経験し、成熟した時にメダルに挑戦できるのが理想であろう。
終わりに
アテネ大会は国立スポーツ科学センター(JISS)が設置されてから初めての夏季オリンピックであり、日本の競技者、特にJISSが支援してきた競技者の 活躍を期待したい。オリンピックでの成績は予想困難であるが、金メダルは少なければ5個、良ければ10個の可能性もあるが、私個人としては8個程度と予想 しておく。
※本文は「国立競技場」平成16年7月号に掲載されたものを転載しました。
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