菅生 貴之(スポーツ科学研究部)
「こころ」とは?
今回は「こころを科学する」というタイトルをつけさせていただいた。この分野の研究に関わるものとして、「スポーツ心理学」には「いかがわしい」という イメージが常に付きまとっているのをよく認識しているつもりである。そこで、自分自身の整理の意味も込めて、あえて今回のテーマに挑戦させていただいた。
まずはその「こころ」という言葉を紐解いてみることにする。大辞 林によれば「人間の精神活動を知・情・意に分けた時、知を除いた情・意をつかさどる能力。喜怒哀楽・快不快・美醜・善悪などを判断し、その人の人格を決定 すると考えられるもの。」とある。現象としてはそういうことなのかもしれないが、「科学的に」こころをとらえる際のキーポイントはそれらの現象がどこで起 こるのか?もしくはそれらの現象をつかさどる「場」がそもそも存在するのか?それらを測定する尺度はあるのか?ということになろうかと思う。
こころの科学に対する取組み
何をもって「科学」といえるのかの議論はともかくとして、科学性という観点から「心理学」というものをどのように捉えうるのかを考えてみたい。「心理 学」を自然科学の方法論にのせようという試みでは、こころの場を「脳」にもとめることで多くの成果をあげているようである。確かに脳生理学の発展によっ て、たとえば脳内で「好き・嫌い」「快・不快」「興奮している・落ち着いている」といった感情を測定することが可能になりつつある。
 |
|
|
|
また、さまざまな目的をもって作成された「心理検査」を用いてある場面に特化したこころの状態や特性を把握することができ、より精度の高いものが開発されてきている。いわば、こころを量的に見ることが可能になったということだろう。
「量的」か「質的」か?
しかしながら、これらの指標は一次元的ないわゆる「ものさし」としての機能は持ちえているものの、こころという複雑怪奇な現象を何らかの尺度でとらえる ことはどのような科学の手法をもってしても難しいといわざるを得ない。もちろんそうした測定によって、ある一面を捉えることは可能であるが、そこからここ ろの全体の有り様をはかり知ることは大変難しい。
たとえば競技に対してやる気を失ってしまった選手がいるとする。 その原因を確かめるためには、「やる気」というものさしはあまりにも情報量が少ない。例えてみると、もしかして彼はスポーツという活動以外(たとえば勉学 や恋愛などが考えられる)に対してはとてもやる気になっているかもしれない。そのためにスポーツに向かうやる気が損なわれているかもしれない。そうする と、たとえ「やる気」を機械や質問紙で測定することができたとしても、それがどこに向かっているかがわからないので、意味をなさなくなってしまう。
このようにこころを測定して数字で表すことは、ことに条件の統制 という意味でとても困難なものである。そこでメンタルトレーニングやスポーツカウンセリングの世界では選手の「語り」の中からさまざまなことを読み取ろう と努力をする。そこで語られる言葉はさまざまな意味や背景を持っている。また、言葉として表れてくるもの以外からも、こころの動きのヒントを発見しようと 試みる。たとえば選手が約束の時間に遅れてくるといった行動や、言葉を発するときの表情などの、非言語行動を観察する。さらに言葉のやり取りの中での聴く 側と語る側のこころの相互作用にも注意を向ける。それらのやり取りは詳細に「記録」されて、「報告」され、事例検討会といった場で「検証」される。
その検証の方法は定性的かつ、質的なやり方をとるものであり、そこは量的たりえない世界といえる。しかし、これらの過程がいかに質的なものであっても、 得られたデータを処理し、論文の形で報告して、検証されるという科学の過程と大変よく似たものだと感じるのは私だけではないのではないか。
こころを科学するということ
|
 |
|
|
|
選手との個別相談
選手との個別の相談は決められた空間の中で、一人の担当者が行う。空間を区切ることで、選手は「語る」ための準備ができるが、より重要なのは選手との信頼関係を構築しておくことである。
|
|
|
|
JISSでは多くの選手がさまざまなサポートを受けにくる。一流アスリートと接することができるわれわれは、ここで得られた知見や方法論を外部に発信し ていく義務があるといっていい。定量的な数値として何かを示すことが難しい「スポーツ心理学」の領域でデータベースとしての機能を持ちうるためには、その 「質的」な側面に目を当てるべきではないか。たとえばサポートの方法論や留意点、選手との関わり方やその変化の捉え方、用いた手法とその効果、などであ る。
スポーツ心理学、ことに「メンタルトレーニング」というものに は、冒頭にも述べたとおり常に「いかがわしさ」がついて回ってしまうものであるが、選手に対して行う心理サポートの方法論は、科学的であろうと努力をして いるし、少なくとも「客観性」を保つ努力をしている。JISS心理グループでは一つのサポート事例について、研究室のスタッフ及び専門家(精神科医、臨床 心理士、スポーツメンタルトレーニング指導士など)が月に一度集まって、サポートの内容を吟味する目的で、事例検討会を開催している。そこではサポートの 事例が詳細に、きわめて厳格に検証されており、それが報告者のトレーニングとしても位置付けられている。
まだまだこうした過程が「科学」として認知されているとは思えな いが、われわれがその方法論を、具体的な活動を通してアピールしていく必要があると感じている。それがひいては「こころの科学」性の向上につながり、「いかがわしさ」の払拭につながっていくのだろうと期待している。
※本文は「国立競技場」平成17年5月号に掲載されたものを転載しました。 |