第11回 |
競技現場でバイオメカニクスチームがやっていること |
1.はじめに
「スポーツ医・科学の最前線」と題された本連載であるが、スポーツ医・科学の最前線とはどこにあるか。それは、紛れもなく競技が行われているフィールド である。国立スポーツ科学センター(以下JISS)には、全身の筋力、パワーを測定する様々な測定機器、MRI(磁気共鳴映像)撮影室、低酸素宿泊室な ど、まさに医・科学の最先端の設備が備わっているが、競技現場から遠く離れたJISSの屋根の下にある以上、これらはあくまでも後方支援設備ということに なる。これらの後方支援設備が前線のために有効に機能するためには、前線、すなわち競技現場の問題が詳細にとらえられている必要がある。
本稿では、JISSの主要な事業の1つであるトータルスポーツクリニック事業の一環として、まさに最前線に赴いて活動しているバイオメカニクスサポート チームの活動内容を紹介し、その活動が、日本代表選手・チームの国際競技力向上を達成する上で、どのように位置付けられるかを述べることにする。
2.シンクロナイズドスイミング競技会のサポート事例
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写真1 |
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写真2 |
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写真1、2は、横浜で行われた2003年シンクロナイズドスイミングジャパンオープンの競技会サポートにおいて撮影した映像のひとコマである。写真1 は、会場内の電光掲示板の上にあるキャットウォークにカメラを設置してプールを見下ろすように撮影したものである。当初は、観客席最上段から撮影するつも りであったが、より俯瞰的な映像が必要だったことから、会場係員の方に無理を言って上らせていただき、会場内で最も高いこの位置にカメラをセットした。そ こは、普段は、照明の取替え作業でもなければ人の立ち入らない場所であり、地上20m以上の高さなのに、床はぐらぐら揺れるわ手すりが一本しかないわで、 作業するのがとても怖かった。写真2は、プールサイドに設置したカメラから演技を行っている選手を撮影したものである。このサポートにおける我々の任務の 1つは、各選手がどれくらい水面から身体を出して演技を行っているかを調べて比較することであった。そのために、写真2の映像を使って水面から頭や手先ま での高さを計るのであるが、写真2の映像を撮影したカメラはズームを固定しているので、カメラ近くで演技をした場合は身体が大きく見えるし、遠く離れれば 小さく見える。要は遠近誤差を含んでいるのである。したがって、写真1の映像を使ってプールサイドに設置したカメラから選手までの距離を測り、その距離を 考慮に入れて写真2から水面上の身体の高さを計算することになる。
このような分析の結果、海外の有力選手は、水面上の頭や手先の最高到達点は日本人選手とほぼ同程度でありながら、高い位置を維持している時間が長いこと が分かった。重力に逆らって長い時間身体を浮上させ続けるためには、力強いキックを長時間行わねばならない。したがって、日本人選手は、長時間力強く水を 蹴りつづけられる体力と、効果的に水を捉えるキック技術がさらに要求されることが示唆されたのである。
3.競泳競技会のサポート事例
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写真3 |
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写真4 |
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写真3は、バルセロナで行われた2003年世界水泳選手権競泳競技の会場にてサポート活動を行ったときの映像のひとコマである。この映像は、スタートの 合図からゴールするまでの間、1人の選手を追いかけて撮影し、各区間のスピード、ストロークの長さと頻度を計測するためのものである。このような分析に は、プールに張られたコースロープの模様やプールサイドの壁の切れ目などを物差しとして用いるため、単純に選手のアップの映像を撮ればよいというわけでは ない。選手の全身と分析に必要な目印が同時に映しこまれている必要があり、また、仮に2名以上の日本人選手が同レースで泳ぐことになれば、上手くその数名 をカメラに収める必要も出てくる。そのためには、ファインダーの中心に選手を置いてぼんやりと全体を眺めながらカメラを操作せねばならず、もし、特定の選 手のフォームを注視してしまったりすると、スムースに追いかけることができなくなり、必要な周囲の情報が画面の外にはみ出してしまう。もちろん、ファイン ダーから目を離して、電光掲示板に表示された途中通過タイムを確認するなどもってのほかである。したがって、日本人選手の世界記録樹立という歴史的瞬間を カメラに収めながらも、ひたすら冷静にかつぼんやりとレースを見守らねばならない。まったく歯がゆい仕事である。このとき、観客席の最上段で撮影にあたっ たJISSスタッフ(写真4)は、地元選手の活躍に熱狂して総立ちになった観客の合間を縫うようにして撮影を行わねばならないという苦労もあった。また、 世界的にテロに対する警戒が強まる中、競技会場に入るためには厳重な持ち物チェックを毎回受けねばならず、カメラの三脚などは、入場口の屈強なガードマン に何度も取り上げられそうになった。
しかし、このように苦労して得た映像は、レース終了後3時間以内には分析がなされてコーチのもとにフィードバックされ、ねらい通りのレース展開、目標と していたストロークの長さと頻度で泳げたかが確認された後、次のレースでの戦略を立案することに有効活用されたのである。
4.最前線は最先端か?
さて、写真4を見てお気付きかもしれないが、競技会サポートで活躍するデジタルビデオカメラは、街の電器店に行けば買うことのできるごく一般的なもので ある。今、小学校の運動会に行けば、もっと性能のよいカメラを構えたお父さんがたくさんいるに違いない。JISSには、射撃競技の弾丸やアーチェリーの矢 が射出される様子を分析するための超高速カメラ(毎秒数千コマで撮影が可能、市販品は毎秒60コマ)も導入されているが、そのようなカメラに比べたら、写 真4のカメラは、決して最先端の機材とは言えないだろう。しかし、競技会サポートでは、手軽に持ち運べて、撮影したその場で分析までできてしまうハンディ タイプのカメラの方が重宝する。
また、シンクロの動作分析については、光学、数学に関する知識が多少必要であったり、画像情報を読み取る専用のシステムが必要であったりするが、競泳の レース分析は、基本的に四則演算で済ませることができ、エクセルのワークシートで十分できるものである。オフィス系ソフトの扱いに慣れている事務職員のほ うが我々より手際よくできるかもしれない。そういった分析方法の面でも最先端というわけではないのである。しかし、例に示したような撮影および分析は、 「フィールドで選手が何をしたか」という選手・コーチが最初に知りたいと思う基本的で重要な情報を提示するものであり、過不足なく、可能な限り早くフィー ドバックすることが重要となる。そして、この情報をもとに、「目標達成のためには何をしなければならなかったか」、「そのために足りないものは何だった か」という検討がなされ、初めてJISSで待っている最先端の機器を活かした競技力向上のための総合的な支援を始めることができるのである。
そう考えると、スポーツ医・科学の最前線で必要なのは、必ずしも最先端のテクノロジーではなく、競技現場のニーズを察知して柔軟に対応できる人間と道具、そして、ちょっとくらい高いところでも平気で作業できる肝っ玉だったりするのである。
※本文は「月刊国立競技場」平成15年12月号に掲載されたものを転載しました。 |