第10回 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し ある高校バスケットボール部の強化サポートプロジェクトを行っていた時の失敗である。初のインターハイ出場を賭けた県予選準決勝。選手・チームのコンディションともにパーフェクトに仕上がっていた。決勝進出は確実視されていた。しかし我々は敗れた。 敗北は一通の手紙から始まる。試合当日、宿舎出発の直前、ある選手が保護者の一人から手紙を受け取った。準決勝を前に、選手の奮起を期待して渡されたそ の手紙には、「最近、あなたのプレーはゲームリーダーのプレーを殺している。ゲームリーダーのプレーを生かすように、ミスをしてはいけない。」と書かれて あった。これを見た選手は泣き出してしまった。その様子に気づき、事情を知ったポイントゲッターである同級生の選手も動揺した。既に戦う心理状態ではな かった。試合が始まる以前に我々は敗れていた。こうした事態を誰も予想していなかった。 敗戦に関して、納得がいかない事が一つある。敗戦直後に「あれは…だった」と、まるで全てを悟ったかのように行われる敗因分析である。敗因は他にないの か? 着眼点が違えば見える敗因も違うのではないか? “それが全て”と言わんばかりの決めつけの敗因にはいつも疑問を感じる。 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」 心形刀流・松浦静山の『常静子剣談』にあるこの一文は、剣道では試合後の反省によく用いられる教えである。負けた時には必ず理に適わない原因がある。敗因 を十分に分析・検討することの必要性を説いている。しかし現実をみると、強化活動やサポート活動の成功情報に比べて、失敗情報は極端に少ない。これはス ポーツに限った話ではない。一般に失敗情報は隠れたがる。 失敗と向き合う しかし最近、失敗を積極的に活用しようとする取り組みが各界で行われている。 ビジネス界では、ナレッジマネジメント、カスタマーリレーションシップマネジメントなどの情報戦略が注目されている。営業ノウハウや顧客情報などを、 ITを活用して一元管理し、社内全体で共有することにより効率的な販売・開発・流通を図るというものである。しかし、このような取り組みの裏には失敗も多 い。ビジネス界ではこうした失敗を見つめ直すことを通して新たな知識を生み、それぞれの取り組みを深めている。 またこれまで工学分野では、失敗を新たな創造に活用してきた。「世界の大惨事」と名の付くテレビ番組で、大きな吊り橋の崩壊シーンがしばしば放映され る。この原因の徹底分析から「自励振動」という現象とそのメカニズムが明らかにされ、それは吊り橋技術を飛躍的に進歩させたといわれる。 一方、軍事における失敗研究はスポーツにも有益である。大東亜戦争における日本軍の主要な作戦(ノモンハン事件、ミッドウェー海戦、ガダルカナル作戦、 インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦)はすべて失敗に終わる。これらの作戦の失敗要因を個々に分析し、それらから共通要因を明らかにした研究がある(戸部 ほか、1995)。その研究では不明確な戦略目的、長期的展望のない戦略志向、科学的な戦略策定の欠如、人間関係の重視、組織学習の欠如などの戦略・組織 要因が日本軍の“失敗の本質”であるとしている。 次に引用する一節は我々に大きな示唆を与える。『情報、諜報の活用という点では、米軍に比べ決定的に劣っていた……情報、諜報、索敵の軽視が日本軍の失 敗の原因になっている。』『失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実施され なかった。これは物事を科学的、客観的にみるという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。 また、組織学習にとって不可欠な情報の共有システムも欠如していた……情報が個人や少数の人的ネットワーク内部にとどまり、組織全体で知識や経験が伝達され、共有されることが少なかった。』 コンディショニングにおける失敗の本質 「大会前に調子を崩し、本来の力を発揮することができなかった」という話はよく聞かれるが、それがなぜ、どのようにして起きたかという分析結果を目にすることは少ない。 体協公認アスレティック・トレーナー養成講習会では、トレーナー各自の経験を題材にコンディショニングの失敗要因分析を行っている。受講者の活動からコ ンディショニングの失敗経験を1つ選び、その失敗要因を2つの手法を用いて分析する。1つはプロジェクトマネジメントの観点から、コンディショニングを進 めたプロセスの妥当性を検証するアプローチである。もう1つは失敗という具体的な事象がなぜ起きたのか、その事象と原因の関係を「なぜ」というロジックで つなぐロジックツリーの作成である。 これによって得られたコンディショニングのキーワードは「リスク管理」と「情報」である。冒頭の例のような試合直前の突発的なトラブルを原因とする失敗は多い。医・科学サポートにおいてリスク管理はキーファクターの1つである。 一方、情報収集と活用はコンディショニングの生命線である。選手の日常生活や趣味、プライベートな悩み、心身の状態、流行など、競技やスポーツ医・科学 とは直接的な関係の少ない基礎情報を見逃したために失敗したケースは実に多い。「勝負の最前線(現場)」に存在する情報を理解していなければ、医科学サ ポートを成果につなげることは難しい。 最前線への後方支援 ところで、世界に大きな衝撃を与えた「アメリカ同時多発テロ事件」に対して、日本は、医療、輸送・補給等のための自衛隊の派遣、情報収集のための自衛隊 艦隊の派遣、自衛隊による避難民支援などの措置を後方支援として行う。こうした我が国の取り組みをみると、勝負の最前線からみた国立スポーツ科学センター のポジショニングと役割を確認することができる。 先のコンディショニングの失敗要因分析を例にすれば、各事例を個々に分析し、次の取り組みへの直接的な知識を生む主役は最前線にいるチームである。 国立スポーツ科学センターもまたその役割の一端を担うが、我々がすべきことは、こうした個々の事例と分析結果を集約し、そこから共通の知識を導き、それ らを提供・共有化することであろう。例えば、どのような情報を収集し、どのように分析し、どのような形で、どのタイミングで、どのような方法で提供するの が最も効果的かといった知識の創造と提供である。当センターに、隠れたがる失敗情報が集まるようになった時、我々は正真正銘の拠点となると考えている。 ※本文は「月刊国立競技場」平成13年12月号に掲載されたものを転載しました。
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