第1回 スポーツを考える (前編) 「体育とスポーツ科学」
「体育とスポーツはどうちがうか?」これは、明確に定義されていないように思える。使い方として例えば、学校では体育とか体育会系と言うのに対して、オ リンピックではスポーツと言う。言葉遣いのニュアンスから体育にはある目標に向けて組織化された統率性を、スポーツにはルールにもとづく競争性を感じさせ る。現代では特に小学校などの体育の授業においては、スポーツが所有する競争性がしばしば排除されることがある。つまり小、中、高校あるいは大学の学校体 育では、健全な心身の発育・発達を養うためにスポーツが題材として使われている(きた)ということであろう。しかしこのような論理でスポーツ本来がもつで あろうと思われる競争性が失われる必然には釈然とこないものを感じる。むしろそのような競争性への経験が、心身共に逞しい人間を育む方向になるようにも思 える。
科学という側面から さてこのような議論は、過去の大学における一般教養の中に位置付けられた体育授業の存在意義についても波及していく。大学という学問する場で、体育は何 をなし得るのか。極端な話、スポーツを生徒にただやらせておくことが心身の健全な成長になるのか、と意見があり、大学の体育教師は、真剣にその存在意義や 価値を見いだすことになる。その結果、大きな改革点として科学が体育やスポーツにも登場したのである(個々の研究者のレベルでは以前から体育やスポーツに 科学的解明がなされてきていたが、前面に科学が押し出されたのはこの改革時であると思われる)。 例えば東京大学教養学部でも保健体育科から身体運動科学部として大学院生命環境科学系の中に位置付けられた。科学がいかに国民の生活に役立つかという観 点から、科学がいち早く国民社会に取り入れられたアメリカにおいては、例えばUCLAでは体育学部(Department of Physical Education)がここ約20年間でキネシオロジー学部(Kinesiology、身体動作学)から生理科学部(Physiological Sciences)へと名称の変遷を辿っている。
科学的偏重も否めないが このような改革のポイントは、人間の身体運動に関わる科学(Sports Sciences)が体育(Physical Education)にとって替わってきたことである。ともあれ急速に科学が打ち出されてきた背景には、現代の日本社会の科学偏重的な流れも感じられない でもないが、だからといってそのことは従来の体育を否定していることではない。本来、科学は「役に立つ」と「知識のための知識」という二面性(ダブルスタ ンダード)をもつために、広義に解釈すれば教育を包括する言葉としても受け止めることができるからである。さてこのような経緯の中で、我が国立スポーツ科 学センターのキーワードになっているスポーツ科学の技法とはどのようなものであろうか。スポーツ科学がオリンピックでの金メダルを生むと短絡視できるので あろうか。
スポーツ科学の帰納と演繹 スポーツ・身体運動に関わる教員、指導者、研究者は、人間の心と体についての理解が必要となる。心を対象とした理解については、個人の意志、考え方、社会 性などの主観的(あるいは芸術的)接近を行うのに対して、体については理論的背景をもとにした客観的(あるいは科学的)接近を行う。現在のスポーツ科学は 主として後者について扱う。一般的に科学とは、多くの事実(データ)から仮説や理論を導く帰納的手法と反対に特定の理論からあるデータを推定する演繹的手 法があり、反証を経て両手法の繰り返しから成立している。競技力向上を目指すスポーツ選手のトレーニングは、帰納と演繹法の繰り返しを行っている。スポー ツ科学は、トレーニングや競技動作、運動中の体からの信号をできるだけ正確に測ってみることから始まる。そして今まで"確からしさ"を高めている理論と結 び付けて、次の課題を見いだして行く。ただ理論通りにあてはまらないのが特にスポーツエリートの特殊性(特異性)でもあり、かつ人間である以上スポーツ実 施者の"かんじ"(主観)と"データ"(客観)には食い違いは当然起こりえる。これらの点については別に稿を改め考えることとしたい。
プロフェッショナルなスポーツ科学人 私は、スポーツ科学を専攻する大学生には以下のことを勧めている。「大学生活においては、大学での各講義を通じて体育学・スポーツ科学に関する知識の普 遍性を修得すると同時に、自分が興味ある特定の分野(あるいは運動部活動を中心とした特定の競技)の専門性を高めることが大切となる。両者を統合すること によってプロフェッショナルなスポーツ科学人が養成されると考えられるからである。」
―今回は、スポーツが持つ本質を問いかけながら、体育、スポーツに科学が登場する過程、スポーツ科学の技法をわかりやすく紹介している。次回は、「観 る」、「する」スポーツに加えて「支える」スポーツを取り上げ、スポーツを「支える」役割の国立スポーツ科学センター設置準備室の様子などを紹介する。―
※本文は「月刊国立競技場」平成12年11月号に掲載されたものを転載しました。
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