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第16回 「私」と「公」

浅見 俊雄

 

  浅見俊雄イラスト
  あさみ・としお
1933年生まれ.
国立スポーツ科学センター長.
(財)日本サッカー協会顧問、
アジアサッカー連盟規律委員会委員、文部科学省中央教育審議会委員など.

 何回か前のこの欄で、電車の中での観相について書き、そこでは面 を磨くことを提案したが、若い女性が電車の中で平気で化粧をしているのに出くわすと、面を磨いているどころか、面汚しという言葉さえ浮かんできてしまう。 それも心の汚れを顔になすりつけているようにも感じてしまうのである。

 このことについて先日の新聞に、どこかの大学での調査結果が紹介されていた。その記事によれば、なんと女子大生の3割が電車の中で化粧をしているという のである。女子の半分位が大学へ進学するという現状では、女子大生がすべてエリートのお嬢様とは思わないが、それでも大学で教養教育も受けているはずの女 性たちである。ポイ捨てもそのくらいの割合ですると答えているというから、あきれ返ってしまう。多くの若い女性が羞恥心とかマナーとかいう言葉もポイと捨 ててしまったようである。

 こうした女性に限らず、社会の中でどうかと思われるような行動をしている人は、自分がそれでいいのだから外からとやかくいわれる筋はないというのだろう が、周りの人がどう思っているかも感じてもらいたいものである。「私」1人だけなら「私の勝手でしょう」でいいが、他人が一人でもいれば、それはもはや 「私」だけの世界ではない。まして不特定多数の他人がいる場は、まさに「公」の社会である。その多数の人達のかなりの部分が快く思わないような行動は、 「公」の場では慎まなければならないというのが、人間の常識的な考え方であろう。

 どうも最近「私」の権利ばかりが主張されて、「公」は「私」のためにあるものという考え方が強すぎるように感じているのは私だけだろうか。このことも重 要なことではあるが、同時に「公」のために「私」は何をすべきかについても考えてもらいたいものである。人はみな「私」と「公」との関わり合いの中でバラ ンスをとって生きているのである。

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