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第8回 スポーツは言語を超えるもの

浅見 俊雄

 

  浅見俊雄イラスト
  あさみ・としお
1933年生まれ.
国立スポーツ科学センター長.
(財)日本サッカー協会顧問、
アジアサッカー連盟規律委員会委員、文部科学省中央教育審議会委員など.

 スポーツは人類共通の言語といえるのかという前回の問いかけに、皆さんはどうお考えになったであろうか。特に正解があるという問いではないから、どう考えてもいい問題ではある。ここに書くのは私なりの勝手な考えである。

 実はスポーツは共通言語となりうるかという問いを出した私自身が、この問い自体に疑問を感じている。答えを考えているうちに、スポーツと言語を同一視す るのは無理なのではないかということに気づいたのである。それに共通の言語を持つことの意味にも疑問を感じてしまったのである。共通の言語を持てば世界中 の人が理解しあえて、お互い平和で幸福になれるのかということに関してである。

 もともとこの問いかけは、スポーツは世界の共通言語としての役割を果たせるので、スポーツは世界の平和に貢献できるという結論へと導きたいものであっ た。しかし、よく考えてみると、言語はよい情報も悪い情報も伝えることができるのである。褒め称えることもできれば、非難し罵倒することもできるものであ る。争い事は相手の真意がわからないことで起こるというよりも、それがわかるが故に起こることの方が多い。言葉が通じれば万事めでたしというものではな い。

 むしろ、スポーツの方が言葉がわからなくても心が通じ合えて、人と人との関係をよりよい方向に変えていける力を持っているといってよい。したがってス ポーツは人類の共通言語という言い方は間違いで、言語や民族、宗教、政治などの人が作り出したあらゆるバリアを超えることのできる共通の文化であるという べきなのだろう。それ故に世界平和に貢献できるという結論が出てくるのである。ただそのためにはフェアプレーという共通の規範の中でスポーツが行われなけ ればならない。フェアプレーなしにはスポーツも争いごとの種になってしまうからである。

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