スポーツと二人三脚

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第36回 水泳・柴田亜衣選手とオリンピック 2008年6月12日


笠原 一也

 

  国立スポーツ科学センター センター長 笠原 一也
  かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長  
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.

 アテネリンピックの金メダリスト、水泳の柴田亜衣選手が4月の選考会で苦しみながら北京オリンピックの代表権を獲得した。400mでは代表権を得られず800mのみとなってしまったが。
 私は今でも、アテネオリンピックでの800m自由形の柴田選手の泳ぎっぷりを忘れることが出来ないでいる。そこで北京での活躍の期待も込め、柴田選手のことに触れ、エールを送ることにしたい。

 柴田選手に初めて会ったのは、日本でのアテネオリンピック選考会の前、高地トレーニングから帰国してコーチの田中孝夫先生と一緒の時で、「この選手をオリンピック代表にしますから」と紹介されたのが柴田選手である。

 オリンピック選考会では、山田沙知子選手についで2着で代表となった。本番のアテネでは、先ず400自由形で5位に入賞し、日本女子で自由形での入賞と はなんて素晴しいことと思っていたら、北島選手の200m平泳決勝レースの応援の時、応援席のスタンドで田中先生と一緒になった。「800mではメダルを 狙わせます」との力強い言葉をもらったが、半信半疑だったこともあって、翌日の女子800m自由型決勝に駆けつけたのである。

 柴田選手は、決勝のレースで400mを過ぎたところではトップと少し差はあったが力強い泳ぎで2位を維持していた。しかしアメリカの2人の選手が追い上 げてきていた。今までの日本選手では確実に追いつかれるパターンなのだが、柴田選手は、粘りに粘って2人を離し、逆に先頭のマナドゥ(仏)選手をじりじり と追い上げたが750mでもまだ追いつかず、でも2位でも凄いことと思っていたら残りの50mで脅威の粘りを見せ逆転し優勝したのである。

 私があまりにも感激していたので周囲の人たちが「コングラチュレーション」、「コングラチュレーション」と握手を求めてきて一緒に喜んでくれた。
 私の席の何列か前では水泳シンクロメダリストの小谷実可子さん、プロテニスプレーヤー伊達公子さん、スキー複合金メダリスト荻原健司氏の三人が並んで応 援していたので早速駆けつけて喜び合ったが、オリンピックの舞台で大活躍をしてきた名選手達が口をそろえて「凄いレース、鳥肌が立ってしまった」といって いたほど強烈なレースぶりだったのである。
 北京でもう一度、あの粘りあるレース振りを見たいものである。

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