スポーツと二人三脚

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第33回 長野オリンピック開催から早や10年 2008年2月29日


笠原 一也

 

  国立スポーツ科学センター センター長 笠原 一也
  かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長  
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.

 善光寺の鐘の音でスタートした長野オリンピック、あれからもう10年が過ぎた。日本選手の活躍などにより多くの興奮と感動を与えてくれた長野オリンピックをついこの間のように感じるのは私だけなのだろうか。

 長野市では2月9日、長野オリンピック10周記念式典が開催された。色々な記念イベントも用意され、参加された人々は私も含めオリンピック当時に思いを 馳せていた。式典の夜には、雪降りしきる中、長野灯明まつり点灯式が、善光寺の修復なった三門の前で開催され、5年ぶりに三門が五輪の色にちなんだ光でラ イトアップされたのである。長野市長であった塚田前市長はじめ長野オリンピック組織委員会の当時のメンバーも顔を見せ旧交を暖めあっていた。

 この10年を振り返って、長野オリンピックは私たちに何を残してくれたのだろうか? 長野新幹線やオリンピック道路、大会施設などのハード資産のみでは ない。あるところで紹介されていたように、長野の人々が「おもてなしの心」を持つようになったことも大きいであろう。

 もちろん、オリンピックの理念であるスポーツを通して世界平和や国際親善に貢献したことは言うまでもない。現在でも継続しているオリンピックムーブメン トの一つに、長野オリンピック記念基金がある。長野オリンピックの運営費が黒字決算となり、その9割を長野オリンピック記念基金に、1割をJOCに配分し た。9割に当たる配分金、40億5千万円の基金を管理する長野オリンピックムーブメント推進協会では1999年度以降、毎年約4億円ずつ取り崩し10年ほ どで使いきる計画を立てたのである。
当然、その基金は国際的、全国的な冬季スポーツ競技大会への支援や地元長野の冬季スポーツの競技水準向上のために支出されている。しかし、計画では10 年を経過したことでもう全てを使い切ってしまうことになるわけだが、関係者のやりくりであと2年は継続できるという。

 長野オリンピックの財産は、ハード面ばかりでなくこのような面にも残されている。願わくば、オリンピックムーブメントが「金の切れ目が縁の切れ目」にならないようにしてほしいものである。日本のスポーツ文化のためにも。

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