第32回 |
ハンドボールの北京五輪アジア再予選に思うこと |
2008年2月7日 |
笠原 一也
|
 |
|
かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.
|
不可解な笛でやり直しとなった北京オリンピックハンドボールのアジア再予選が1月、日本で行われた。
結果は男女とも韓国に及ばず、この試合では出場権を得ることは出来なかったが、男子の試合の前売りチケットは完売し、当日はダフ屋まで現れたほどコート外は大フィーバーだった。
代表チームの強化練習が、新たに完成したナショナルトレーニングセンター(NTC)の使用開始日と重なったことから、1月21日にはNTCに取材陣が殺到し、その数はプロ野球日本シリーズ以上だったと言われている。
男子戦には、元文部大臣でもあった塩川正十郎氏も姿を見せ、慶応大学でハンドボール選手として活躍していた11人制の当時を懐かしがっていた。
この再予選の問題は一応の決着はついたものの、国際ハンドボール連盟とアジア連盟、アジア連盟と韓国、日本の関係はまだまだ尾を引きそうな気がする。
ハンドボールのことが話題になって意外に思ったことは、ハンドボールのことを知っている人が少ないということである。そのためか各TV局をはじめメディアが一生懸命ハンドボールのルールなど試合当日までも解説していた。
このハンドボール、オリンピックやアジア大会の正式種目であり、国内にあっても国体の正式種目なのである。しかも中学や高校の体育の授業では球技(ボールゲーム)の種目として取上げられているのにと疑問に思ってしまった。
ハンドボール関係者の中にはマイナースポーツなのだと自認している人もいるが、女子の屋外競技としてスタートし、かつては11人制で行われていたが7人 制として1972年ミュンヘンオリンピックに正式に採用された頃は、まだ国内では屋外競技として実施されており、高校の体育の授業、特に女子高校では多く の学校で取上げられていたと記憶している。
代々木競技場で声援を送った人も、TV観覧した人も、ハンドボールの魅力を知ることが出来たと言っている。一番熱い思いを抱いていたのは選手であり、関 係者ではないかと思う。どうかこれを機会に韓国に追い着き追い越し、世界のひのき舞台で活躍して欲しいものである。先ずは世界最終予選突破を目標に!
|