第30回 |
木原光知子さん 安らかに! |
2007年11月30日 |
笠原 一也
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かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.
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「ミミ」こと木原光知子さんの合同葬が11月19日に築地本願寺で営まれた。当年59歳、あまりの若すぎる逝去に、また、元気だっただけに信じられない気持ちだったのは私ばかりではないと思う。
倒れる一週間前には、自分が大会委員長として開催した「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」を元気に取り仕切り成功させたばかりであった。
私は、その大会には他の用務のため出席できず、木原さんとは8月に世界競泳が千葉国際水泳場で開催された折、久しぶりにスポーツ界や水泳のことなどじっくりと話しをする機会に恵まれたのが最後となってしまった。
木原さんは、「最近、集まりに行くとみんなの会話が誰々が亡くなったとか、病気だなど湿っぽい話ばかりなので、皆もっと明るい話題をしなくては駄目よと言ってやったのよ」と話していたのに自分自ら本当に残念である。
木原さんへの記憶は、私も選手として参加した昭和37年の岡山国体が最初である。その頃の国体は中学生の参加が認められていなかったが、東京オリンピッ クを2年後に控え、中学生でトップスイマーであった木原さんに対し、地元ということもあって一般女子の部に参加が認められ3位に入賞している。
期待通りに東京五輪の代表選手となり、当時、アイドル的な存在で「ミミ」の愛称で親しまれた。オリピックでは自分の種目、100m背泳は振るわなかったがメドレーリレーのメンバーとして4位に入賞している。
大学時代に水着メーカーのモデルをしたり、テレビのワイドショーの司会や女優もし、女優の吉永小百合さんやシャンソン歌手の石井好子さん、作家の橋田壽賀子さんらをスイマーにしてしまったのもミミである。
そして女性による女性のための水泳大会「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」を企画し、今年で11回を数えるほどに発展させたのも木原さんである。
色々と各方面で活躍されたがそのベースはあくまでも水泳に置いていた。
「水泳のおかげで色々と面白いことも経験させてもらった。私は結婚していないけど、水泳を指導しているから若い男の子の体だって幾らでも触れるんだから。」と愛嬌ある岡山なまりで皆を笑わせもした。
木原さん、まさか、お釈迦様までスイマーにしないでしょうね。
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