第27回 |
教養があるということ |
2007年8月28日 |
笠原 一也
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かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.
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教養とは「単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化を体得し、それに従って個人が身につけた創造的な理解力や知識」と広辞苑にはあるが、私はある学者が言っていた次のような解釈が好きで講演等に使わせてもらっている。
教養があるというのは
・「挨拶」が出来、「感謝」の言葉を口に出して言えること。
・「和して同ぜず」の社会性を身につけていること。
・ 自分の専門以外の知識、技術を身につけており、時に応じてそれを自分の専門に関連づけて考えることが出来ること。
という解釈である。
そのことに対してなるほどそうだなと思ったことに、2000年のシドニーオリンピックでの出来事がある。シドニーのメイン会場のあるオリンピックパーク 駅を降りると、ボランティアのユニフォームに身を包んだ若者や年配のご婦人までもが集まってくる。
笑顔で「ハロー」又は「グッドモーニング」そして「メイ・アイ・ヘルプユー」又「ドウ・ユー・ハブ・チケット」などと声をかけてくる。そのことが徹底さ れていたので感心した記憶がある。後に組織委員会のメンバーに話を聞いたらボランティアに徹底したことは、笑顔、挨拶、一声運動だそうである。
笑顔で挨拶が出来ることが教養の第一歩と考えると、シドニーオリンピックのボランティアたちは、みんな教養が身についていることになるんだなあと思って しまう。もちろん国々によって事情は異なるが、スポーツ先進国といわれる国を訪れるたびに思うことは、ジョギングする人、ウォーキングに親しむ人などすれ 違う人たちが気軽に笑顔で声を掛けてくれる。すごく清々しい気分になり、スポーツに親しむ人は心豊かなだけでなく、教養もあるんだと思うのである。
残念ながら我が日本では笑顔はもちろん、声をかけるなんてとんでもないという雰囲気の人があまりにも多いように思う。日本には「袖振り合うも多生の縁」という言葉があるのにである。
日本でも、トップアスリートを含めスポーツに親しむ人々が気軽に笑顔で挨拶出来るようになって、スポーツに親しむ人は教養が身についているんだなあと思わせたいものである。
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