第17回 |
柔ちゃんこと、谷亮子ママ頑張れ! |
2006年11月1日 |
笠原 一也
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かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.
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9月頃だったと思うが、母親になった柔道のシドニー、アテネ五輪金メダリスト、柔ちゃんこと谷亮子さんが北京五輪での3連覇を目指し練習を再開したという報道があった。
母親になることがわかった時、「田村で金、谷で金、ママになって金」と言葉を残した柔ちゃん、北京五輪でもぜひ一番高い表彰台に立って欲しいと願ってい る。今まで日本の女子選手で出産後金メダリストになった例はなく、日本オリンピック史上初の快挙となる。
私が柔ちゃんに初めて会ったのは、1992年のバルセロナ五輪メダリストの文部大臣表彰の時と記憶している。まだ中学生だった柔ちゃんは式典を待つ間、ちょこんと椅子に腰掛け足をぶらぶらさせていたのが印象深い。
次はアトランタ五輪での女子柔道48kg級決勝戦、出場権を有していない国に与えられるワイルドカードで出場した北朝鮮のケー・スンヒ選手との対戦である。
日本人皆が絶対金メダルと確信していて、IOC委員である猪谷氏は柔ちゃんに金メダルを渡すつもりで表彰の役を買って出たと聞いている。
決勝戦では我々の期待に反し、柔ちゃんは思うように動けず北朝鮮のケー・スンヒ選手の優勢勝ちとなってしまった。その会場にいる日本人全員が勝ちを信じていただけに、負けて試合場に座り込んだままの柔ちゃんの姿を呆然と眺めていたのだった。
日本選手団の佐藤総監督(柔道、山下選手の恩師)が我々の所に飛んできて、「彼女(ケー・スンヒ選手)は、ボーイだ、ボーイだ!」と叫んだのを忘れることが出来ない。
セックスチェックもしているのだからそんなわけはないのだが、後で聞いてみると、柔ちゃんが今まで対戦経験のないくらい体つきが男性的だったそうである。
日本はワイルドカードでの出場のケー・スンヒ選手についてはノーマークであり、情報もあまりなかったと聞いているが、北朝鮮は柔ちゃんを徹底的に研究していたようである。
その後の柔ちゃんは、シドニー五輪、アテネ五輪と連続して金メダルを獲得し、絶対的な強さを我々に見せてくれた。
我が国から多くのメダリストが誕生しているが、五輪4大会連続でメダリスト、それも金2個、銀2個を獲得しているのは柔ちゃんだけである。ぜひ前人未到の五輪5大会連続メダリストに、そして五輪3連覇を達成して欲しいと願っている。 |