博物館ニュース 第44号

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幻の秩父宮杯、還る ~新しい展示品のご紹介~

銀色に輝く杯の中央には、皇族の証である菊の紋章、その周りをかたどるのは、若松の印。秩父宮家のお印が刻まれたその杯は「秩父宮杯」と呼ばれ、秩父宮雍仁(やすひと)殿下が、生前に全日本学生スキー連盟にお授けになった杯です。今年の7月5日、博物館の秩父宮殿下御遺品室にやってきました。

秩父宮杯
秩父宮杯

スポーツの宮様」と呼ばれた秩父宮殿下は、スキーを大変好まれ、その腕前も素晴らしいものだったそうです。その殿下が、戦前の1928年、日本学生スキー連盟が運営する「第一回秩父宮杯・秩父宮妃杯 全日本学生スキー選手権大会」にて、選手たちの健闘に感銘を受けられ、連盟に銀杯を下賜されました。

この杯が「秩父宮杯」となり、その後も大会の総合優勝杯として優勝者に授与されていました。

しかし戦争が始まると、金属供出への協力のため、銀製の杯は連盟から姿を消してしまいました。その後は詳しい記録もなく行方知れずとなり「幻の秩父宮杯」となっておりました。

その杯が、なんとハワイから発見されたのです。

行方知れずとなってから56年が経った1999年、駐日米国大使館に、米国人のジョージ・H・リンチ氏から「カップをオークションで手に入れたのだが、日本の皇室の持ち物ではないかと思う」との連絡がありました。

リンチ氏は仕事の関係で10年間日本に住んでいたことがあり、その経験からカップに刻まれた菊の紋章が、皇室に関係するものだと気づいたのです。

この話は宮内庁に知らされ、秩父宮殿下が御在世の頃近しかった方により鑑定されました。その結果、まさにその杯が秩父宮杯だと判明したのです。

行方不明の間の経緯は現在も定かではありませんが、杯は様々な人の手に渡っていたそうです。海をも越えてさまよっていた秩父宮杯が、日本に所縁のあるリンチ氏の手に、まるで吸い寄せられるかのように渡り、無事発見されるに至ったことには運命を感じさせます。

その後、リンチ氏は杯の由来を聞き、正当な所有者は連盟であると考え、無償での譲渡を申し出たのです。

リンチ氏の善意により、杯は連盟へ還ることとなりました。そして、全日本学生スキー選手権大会にて学生のために10年間使用されたのちの今年7月、杯は連盟より秩父宮殿下に縁の深い当館に寄贈されました。半世紀の時を超えて、お写真の中から凛と私たちを見据える殿下のお手元に配されることとなったのです。

この杯は戦前のスポーツ史の貴重な資料であり、スポーツを愛した秩父宮殿下の思想の象徴であり、日米友好の証でもあります。専門家によると、現在の技術では製作することができない、工芸学史的にも非常に価値のある杯だそうです。

数奇な半生を辿った、幻の秩父宮杯。銀杯の造形美と、巡り巡って秩父宮記念スポーツ博物館にやってきた神秘的な背景に思いを馳せながら、ぜひ一度ご覧になってください。

また、館内秩父宮殿下遺品室には、他にも秩父宮殿下を偲ぶ貴重な品を展示しております。御来館の際はこちらも合わせて、ぜひご鑑賞ください。

秩父宮殿下御遺品室
秩父宮殿下御遺品室

 

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