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バンクーバーオリンピックにおけるスキージャンプチームの心理サポート

国立スポーツ科学センター
スポーツ科学研究部 立谷 泰久

 スキージャンプチームの心理サポートの始まりは、今から遡ること4年前、私が契約研究員になったばかりの2006年の年度初頭でした。ジャンプチームは、2010年のバンクーバーオリンピックでのメダル獲得を目指し、新体制でスタートしていました。2006年5月某日某所、フィンランド人のカリ・ユリアンティラヘッドコーチ、菅野範弘チーフコーチ、その他数名のコーチとお会いし、「バンクーバーでは、メダル獲得を目指します。そのために心理サポートが必要です。ぜひ協力して下さい。」ということを言われました。その熱意に感動したと同時に、「ぜひとも!」という情熱が湧き上がり、「できる限りのことをさせて頂きます!」とまさに二つ返事でした。これがこのサポートの始まりでした。

パークシティ(ソルトレークシティ)で
行われた直前合宿の
ジャンプトレーニングを見守るコーチ陣
パークシティ(ソルトレークシティ)で行われた直前合宿のジャンプトレーニングを見守るコーチ陣

 最初は年に数回、合宿などの時にメンタルトレーニング講習会を行いました。講習会では、持てる力を本番で発揮するための心理技法を中心に話をしました。また、この講習では「どのような姿勢で競技に取り組むべきか、どのような競技人生を歩みたいのか、さらにどのような人生を歩みたいのか」ということの大切さも熱く伝えました。最初の2年くらいはそうした講習会を行い、その後は個別(1対1)のサポートに移っていきました。個別のサポートは、まずは「選手がどのような問題・課題を持っているのか」ということを聴きます。そして、個人個人に合った対応策を一緒に考えたり、アドバイスしたりします。そのようなサポート活動を継続し、選手、コーチ、スタッフの方々と良好な関係を築きながら、2009―2010年のオリンピックシーズンを迎えました。このシーズンは、これまで以上に密着したサポートを行いました。2009年5月の国立スポーツ科学センター(以下「JISS」という。)での測定、8月の長野県・白馬でのサマージャンプ(グランプリ)、10月の札幌のナショナルチームの合宿、11月のクーサモ(フィンランド)のW杯(初戦)、そして2010年1月の札幌W杯と常に密着したサポートを行い、オリンピック本番に備えました。

パークシティ(ソルトレークシティ)で
行われた直前合宿の
ジャンプトレーニングを行っている代表選手
パークシティ(ソルトレークシティ)で行われた直前合宿のジャンプトレーニングを行っている代表選手

 2010年2月4日、私は多数の報道陣がいる成田空港にいました。2006年から始まったサポート活動の集大成ともいえる、バンクーバーオリンピックに出発するためです。この日から、2月24日の帰国日までの約3週間、ジャンプチームと共に過ごしました。2月4日~8日までは、米国・ソルトレークシティのパークシティでオリンピックの直前合宿を行い、9日にバンクーバーに移動し、24日の帰国まで帯同していました。パークシティの直前合宿では、まさに「チームの一員」として朝から晩まで選手・コーチと共に過ごしました。バンクーバー(ウィスラー)に移動してからは、選手とコーチ陣は選手村に入り、私はウィスラービレッジのコンドミニアムにいました。ここは、選手村には徒歩とバスで30分程で行ける便利なところにあり、選手村にもたびたび訪問させて頂きました。この選手村の宿舎の中で、選手と個別のサポートを行ったり、選手の様子を観察したりしました。この3週間の私の活動を一言で表現するならば、「オリンピックの本番で良好な心理状態を保ち、いつもの力を発揮できるようにサポートする」と言えます。その中で、最も大切にしていたことは、選手の表情や言動をつぶさに観察し、どのようなこころの状態なのか、ということをいつも感じとることでした。選手から何かを感じ取ったときには、ちょっとした声掛けをしたり、コーチから選手の様子を伺ったりと、常に注意を傾けていました。このような活動を3週間全力で取り組み、試合の時には、チケットを持って観戦に行きました。試合は、ノーマルヒル、ラージヒルと行われましたが、選手の皆さんは頑張ってはいるものの思うような結果が出せず、苦しい思いを感じていました。

 そして、迎えた2月22日。私はウィスラーオリンピックパークのジャンプ台のスクリーンを泣きながら見ていました。この日は最後の種目の団体戦。涙が出てきたのは、日本人選手最後のジャンパー・葛西紀明選手が、140Mの大ジャンプをした時でした。葛西選手の大ジャンプの直後、われんばかりの歓声が上がり、会場にいた世界中の人々が葛西選手にたくさんの拍手を送っていました。日本の団体戦の結果は5位。メダルを目指していたので残念な結果でしたが、選手の皆さんは満足した表情をしていました。その姿を見て、また涙が溢れてきました。「何でこんなに涙が出てくるんだろう?」と自問しながらも、こみ上げる涙を抑えることが出来ませんでした。今、冷静に考えてみると、選手やコーチの姿に純粋に「感動した涙」、メダルを獲得できなかった「悔し涙」、このような素晴らしい仕事を与えて下さったたくさんの方々への「感謝の涙」、という様々なものが入り混じった「涙」だったような気がします。

ウィスラーオリンピックパークのジャンプ台
ウィスラーオリンピックパークのジャンプ台

 この2006年から始まったジャンプチームの心理サポートは、私にとっては大変貴重な経験であり、たくさんのことを学ばせて頂きました。また、多少ではありますが、ジャンプチームにも貢献できたのではないかという充実感も感じています。今、この経験を次のサポート活動につなげなければ!と新たな気持ちでいます。また、このような充実したサポートができたのは、ジャンプチームの選手、コーチ、監督、スタッフの皆さん、JOC(日本オリンピック委員会)の方々、その他関係するたくさんの方々のおかげです。本当にありがとうございました。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。

 JISSが開所して間もなく10年を迎えます。今回の活動を通して、これまで行ってきたJISSのあらゆるサポートが、競技団体に浸透し、貢献してきたと実感しております。これは10年という歳月の中で、関係するたくさんの方々の尽力があったからです。このことに感謝の気持ちを持ちながら、これからも選手のため、コーチ・監督のため、競技団体のために、地道に一所懸命活動して行きます。この活動が、日本人選手の国際競技力向上につながり、さらなるスポーツの発展や振興につながっていくならば幸甚に耐えません。今後も、JISSの活動を温かく見守って頂けると幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

 

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