スポーツと二人三脚

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第41回 名画伯 平山郁夫先生にお願いしたこと 2008年12月5日

笠原 一也

 

  国立スポーツ科学センター センター長 笠原 一也
  かさはらかずや
1938年 埼玉県生まれ
国立スポーツ科学センター長  
和歌山県保健体育課長,文部省競技スポーツ課長,JOC事務局長、東京女子体育大学教授など歴任し現職.

 古橋廣之進日本水泳連盟名誉会長がこの度スポーツ界で初の文化勲 章を授章された。心からお祝いを申し上げると共にそのことがきっかけで思い出すことがあるので紹介したいと思う。それは、東京芸術大学学長も務め、日本を代表する多くの要職を歴任されている日本画家平山郁夫先生に、厚かましくも二度ばかりお願いしたことについてである。

 一つは、当時日本水泳連盟会長であった古橋会長が平成5年に文化功労賞を授賞された時のことである。その時、お祝の記念品に平山郁夫先生の絵はどうかと いうことになったが、平山先生は現代日本画壇の最高峰に位置する画家で、作品価格は存命する画家の中で飛びぬけて高価といわれていた。

 実は、平山先生は広島県で水泳・背泳ぎの学童新記録を持っていたほどの選手だったそうなのだが、日本水泳連盟では平山先生への接点がないとのことから私への依頼となった。先生は平成6年広島市で開催されることになった第12回アジア大会組織委員会のアドバイザーで私も実行委員であったので、それまで面識 もないのに厚かましくも学長室に直接電話をし、面会を求めたのである。

 快く面会に応じてくれることになり、日本水泳連盟の林専務理事と二人で学長室に出向き、絵具代ぐらいしか用意できないのに記念品にする絵を描いて頂くようにお願いをしたのである。先生は、古橋会長のためならと、快く引き受けて頂き、しかも寄贈されるとのことで恐縮してしまった。完成した絵は「フジヤマの トビウオ」にちなんだ、から松林越しに富士山を描いた絵で9号の大きさだったと思う。先生は祝賀会にも駆け付けて古橋会長に贈呈されたのであった。
 お願いに行った時の学長室での平山先生のお話は大変面白く、またスポーツ界にも共通する話題が多く、忘れることの出来ない貴重な時間であった。

 二つめは、2008年の五輪招致に国内で大阪市と横浜市が立候補した時の事である。JOC関係者だけの判断ではなく諮問委員会を設置し日本を代表する文 化人にも意見を聞くことにした。当然、文化人の1人として平山先生にもお願いしようということになり、この時も厚かましく電話で承諾を頂いたが、あまりにも失礼ということで当時のJOCの八木専務理事と一緒に鎌倉の自宅にお邪魔しお願いしたことを忘れることが出来ない。
 高名な平山先生に二度までも無遠慮なお願いをしたことを思い出すと、今でも冷や汗が出てくるし、快諾して頂いたことに心から感謝、感激をしている。

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