ツルのひとこと

第20回 食育について考える 2004年11月30日

浅見 俊雄


  浅見俊雄イラスト
  あさみ・としお
1933年生まれ.
国立スポーツ科学センター長.
(財)日本サッカー協会顧問、
アジアサッカー連盟規律委員会委員、文部科学省中央教育審議会委員など.

最近「食育」という言葉が良く使われている。広辞苑(第5版)に は載っていないが、知恵蔵(2002)には「江戸時代の村井弦斎著『食養法の料理心得』にある『小児には徳育・知育・体育よりも食育が先』との言葉に由 来。」とあるから、新造語ではないようである。小泉首相もこれと同じ意味のことを閣議で言われたと聞いている。
しかし知・徳・体は育み育てるものである が、食は育むものではなく食べることだから、食育というよりは食教育という方がいいと個人的には思っている。性についての教育も性育とはいわず性教育と いっている。といっても新聞などでも広く使われだしているから個人の好みはどうでもいいことだが、言葉はもっと吟味して使ってもらいたいという思いはあ る。

ところで野生の動物は、親に教えられることもあるのだろうが、基 本的には本能に従って食行動を行なっている。何を食べればよいのか、何を体が必要としているのかは本能が教えてくれる。本能の命ずるままに餌を捜し求め、 それにありつけなければ生存競争に負けて死んでいくしかない。しかし人類は知恵を持ったがために、飢えから免れる術として農耕、牧畜、漁業を発展させてき た。こうして食材を広げ、調理法を開発し、味覚ばかりでなく他の感覚をも満足させるようなメニューや、食のマナーなど、豊かな食文化を築いてきた。

ところが半面で、自己を守るという研ぎ澄まされた本能は、食欲と しては残っているが、体が何を求めているかというセンサーは鈍化して、おいしさとか好きなものを欲するという後天的に獲得した欲望に食行動が支配されてい たり、面倒なことをせずに空腹さえ満たせばいいというような食の現象が多く見られるようになった。

しかし、いまさら本能を磨いて野性の感覚を取り戻すわけにはいか ない。知識を通して行動の変化に働きかけるしかないということで食育の必要性が叫ばれ出したのである。ここで重要なのは、食に関する科学や知識だけを教え るのではなく、豊かな食文化を継承し、よりよいものに発展させることにつながるものを教えることにあるだろう。

食育の行き着くところは、栄養学的には十分な内容のファースト フードにサプリメントというのではなく、家族や仲間と一緒に楽しくおいしく食事をするということでなければならない。食の原点は家庭にあり、お袋の味の復 権に親父の味も加わって、それが子供から孫へと引き継がれていくようになれば、食育という言葉もいつしか忘れられてしまうだろう。江戸時代にはあっても、 つい最近までまったく使われていなかった言葉なのだから。

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