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所蔵品の紹介

近代スポーツの歴史

ダンベル   野球用具
明治時代の体操用具
(棍棒、木製亜鈴=ダンベル)
野球用具
(明治~大正時代)
日本に近代スポーツが広まったのは体操からであった。 ここにあるダンベルは、以前はベル―鈴―がついていたこともあり、 鳴らない鈴=dumb bellと呼ばれ、日本では、その直訳で「唖鈴=亜鈴=アレイ」と呼ばれている。 競技として成ったのはアメリカで、1845年にルールが考案された。 当時21点先取・投手はアンダーハンドで打者のリクエストによって ストライクゾーンが決まっていた。 投手は打者が打ちやすいボールを投げなくてはならなかった。 それが大衆化され競技を早く終わらせるために9回制などの現在のルールに近い形に改良された。 日本では1873年に初めて行われた。
 
卓球用具   ハンマー投げ用具
ピンポン(明治時代)と
卓球用具(大正~昭和時代)
日本最古の鎖付き
ハンマー投げ用具(1916年)
卓球=テーブルテニスの起こりは、雨天でテニスができないためクラブハウスで ワインのコルクを丸くして遊んだことからといわれている。 1938年までは日本にはラバー―ゴム―がなく、 穴空きラケットや木、コルク、紙やすりなどのラケットで行われていた。 このハンマーが開発されるまでは木の柄のハンマーを使用していた。 まさしくハンマー=カナヅチを遠くへ投げるようなものであった。 このハンマーは大阪・豊中競技場で行われた「第3回日本オリンピック大会」 で使用したものである。
 
参加メダル   下駄スケート
参加メダル原型
手榴弾投げ競技

(第12回明治神宮大会/1941年)
下駄式スピードスケート
(1906年に初めてスピード競技が行われた)
当時は日中戦争、そして第2次世界大戦などと軍靴の足音が迫ってきた時代であった。 このような競技だけでなく伝令競技、突撃競技などの「国防競技」が スポーツとして採用された。 また、参加メダルも鉄は軍事用としているため、セトモノとなった。 スケートは日本には1861年に紹介されたが、 その以前から冬の遊び用具として「竹ゾウリ」などが使われていた。 これが素地となり下駄スケートが考案され、諏訪湖=長野県を中心に発達していった。
 
世界記録証   ピッケル
世界記録証・古橋廣之進
水泳で4種目に世界新記録を樹立(1949年)
マナスル初登頂時の
ピッケルと頂上の石(1956年)
第14回ロンドンオリンピック(1948年)、 日本とドイツは第2次世界大戦の責任を問われ招待されなかったが、 この当時、古橋は絶頂期となっていた。 ロンドン大会と同時刻に日本で水泳競技大会が行われ、 オリンピックの優勝タイムをことごとく破ってしまったのだ。 戦後、古橋らはロサンゼルスでの全米選手権に参加するが、 未だ反日感情の厳しい時代であったため命の保証もないという状況であった。 しかし、古橋は8種目中5種目に優勝し「フジヤマのトビウオ」というニックネームをもらう。 ネパールの開国により、各国が競ってヒマラヤへと遠征隊を送った。 戦後の日本山岳会は第3次隊―槙有恒隊長―によって初登頂を成し遂げた。 世界有数の登山隊の中で8番目の快挙となり、日本の登山史のエポックとも言われている。

 

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