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芝生の話 「なぜに国立競技場の芝生は美しいのか? 
~グラウンドキーパー汗と涙の奮闘記~」

第10回(最終回) 「唄う国立競技場♪」

 みなさん長らくお待たせいたしました。前回は「新生ラグビー場ができるまで!」と題して秩父宮ラグビー場の芝生張替工事45日間の全記録をご紹介しました。

 さて、記念すべき第10回目のお話は、題して『唄う国立競技場♪』。国立競技場といえば、陸上競技やサッカー、ラグビーなど様々な大会やイベントが開催されますが、その中でも特異なイベントといえる「コンサート」のお話です。国立競技場でどのようにコンサートが開催されたのでしょうか?

 このコンサートは1996年6月に開催されました。「3大テノール日本公演」と題して、世界10都市ワールドツアーの初公演として開催されました。
 世界の3大テナーであるルチアーノ・パヴァロッティー、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスはオペラファンのみならず世界中の音楽ファンから熱狂的な支持を受けています。世界中のどんな大きな会場で開催しても、満員になってしまうほどの人気オペラ歌手です。この3人が同時に、しかも国立競技場で「3大テノールコンサート」を開催することになったのです。

 普段はスポーツ施設として利用される国立競技場ですが、この日ばかりは古代ギリシャの屋外劇場を思わせるような大規模なステージと18,000席の椅子が設置されました。それでは、「3大テノール日本公演」会場づくりの一部始終をご紹介しましょう。

 

ステージの全体写真
<ステージ全景>
 コンサートの「顔」であるステージは、幅50m×奥行き27m×高さ18mと屋外ならではの大スケールで、12トンの大屋根を吊り下げて、ギリシャ神殿のような柱が何本も立てられました。ステージの後ろには、星をあしらった無数のライトが設置されました。
 ステージの設営は、クレーン車や大型の重機材を使用して行われました。重機の走行やステージの荷重に耐えられるように、スタンドやトラック走路には養生が施されました。スタンド下は「サポート」で補強され、トラック走路は一番下にビニールシートを敷き、次にゴムマット、一番上に鉄板を敷き詰めて保護しました。 クレーン車での鉄板養生の写真
<クレーン車による鉄板養生>
 
スタンド下の写真
<スタンド下「サポート」補強>
養生完了後の写真
<鉄板養生完了>

 

 グラウンドには18,000席の椅子が並べられました。もちろん芝生の上に直接椅子を並べたわけではありません。それでは一体どのように観客席を設けたのでしょうか?
 グラウンドに観客席を設けるために芝生専用の保護材が使用されました。このコンサートでは2種類の保護材が使用されました。ひとつは「ロールウェイ」、もうひとつは「テラプラス」というものです。簡単に言うとプラスチックスノコといった感じでしょうか。この保護材はイギリス製で、スタジアムで開催されるロックコンサートや展示会等で芝生保護材として使用されています。二つとも同じ材質ですが、形状や作業方法が異なります。
 ロールウェイは大きさが2.4m×13.5mで名前のとおりロール状にして運搬し、設置することができます。テラプラスは2m×2mの箱型で、2人で運搬することができ、内蔵されたフックを旋回させて連結します。

 

ロールウェイの写真
<ロールウェイ>
テラプラスの写真
<テラプラス>

 

椅子並べの写真
<養生材設置と椅子並べの様子>
設営完了後の写真
<設営完了>
コンサート当日の写真
<3大テノールコンサート当日>

 

 芝生の保護材だから芝生に害はないのでは?と思われるかもしれませんが、ここには様々な影響が考えられたのです。コンサートが開催された6月下旬はちょうど梅雨。梅雨は高温多湿で芝生にとっては日照不足による生育不良や病害が発生しやすい時期なのです。また、冬芝から夏芝への切替作業が行われ、保護材の設置によって冬芝が枯死するのは好都合でしたが、これから成長旺盛となる夏芝にとっては最も大事な時期でした。グラウンドキーパーはその時の気候や芝生の状況を考慮しながら起こり得るあらゆる問題を想定し、対策を考えました。

 

<想定された問題点と対策>
問題点 対策
「日照不足による黄化」
 養生材が何日も設置されることで、太陽の光がさえぎられ、光合成ができない。
 主催者と綿密な作業スケジュールの調整を行い、少しでも養生材の設置期間を短縮するようにした。敷き込み作業をできるだけ遅らせ、撤去作業を早めるように調整した。
「病害の発生」
 通気不足によって蒸れが生じ、病原菌が発生しやすい環境になる。
 事前に発生が予想された病害の種類を特定し、適切な薬剤の選定を行った。養生材敷き込み作業の前に殺菌剤散布を行い、病害発生を予防した。
「荷重による枯死」
 養生材や椅子、観客等の荷重により芝生との設置部分が枯れてしまう。
 コンサート終了後に補修工事を実施できるように準備をした。

 

 保護材の設置期間は、最も長い場所で3日間でした。芝生の状況は、写真のように痕跡が残り、多少黄化しましたが、事前の対策やスケジュール調整により大きな損傷を受けず、無事に回復しました。補修工事も小面積で抑えることができました。

 

ロールウェイ撤去後の写真その1 ロールウェイ撤去後の写真その2
<ロールウェイ撤去後>
 
テラプラス撤去後の写真その1 テラプラス撤去後の写真その2
<テラプラス撤去後>

 コンサート終了後の補修工事は、大変ユニークな方法で行われました。ここでちょっとご紹介しましょう。
 みなさんはvol.7「グラウンドキーパーと頼れる仲間達」で登場した「エアレーター」という機械を覚えていらっしゃいますか?エアレーターは芝生と土壌を円筒状に抜取る機械です。そうすることによって通気や排水の改善、土壌の固結を緩和することができます。コンサート後の補修工事は、このエアレーターを使って行われました。

 通常、エアレーターで抜き取る穴の大きさは、6㎜~16㎜の「タイン」と呼ばれるツールを装着して行われます。しかし今回の補修工事では30㎜という特注のタインが使用されました。30㎜タインをエアレーターに装着し、グラウンドの傷んだ部分を抜取ります。抜取ったものを「コア」といいますが、これは処分してしまいます。この30㎜の穴の中に、ラグビー場から同じように30㎜タインで元気なコアを抜取り、国立競技場に移送し植え付けます。抜取るのは機械ですが、植付けはすべて手作業なので、気の遠くなるような作業です。 タインの写真
<特注30mmタインと12mmタイン>
 
エアレーターでの作業の写真
<特注タインを装着したエアレーターの作業風景>
植え付けの写真
<植付けの様子>

 

 コンサートは大盛況のうちに幕を閉じ、芝生も無事に回復しました。芝生が大きなダメージを受けなかったのは、グラウンドキーパーが芝生の状況を把握し、起こり得る問題に対して適切な対策をとったことや養生方法が適切であったことによります。そして何よりも丈夫な芝生が育てられていたことが、芝生のダメージを軽減し、回復を早める結果になりました。
 スタジアムは、芝生保護材の登場により、スポーツの場としてだけではなく、今回のようなコンサートやイベント等の開催に供することができるようになったのです。

 

☆おわりに☆

 

 10話に渡って国立競技場の芝生がどのように造られ、管理されているか、また、グラウンドにまつわる様々なエピソードについてお話してきました。芝生を管理する上で一番大事なことは、『芝生の上は安全な場所である』ということです。そこでプレーする選手が安心して走ったり、転んだりできる場所でなければなりません。もしグラウンドに大きな穴があったり、石が落ちていたり、危険物が落ちていたら、選手は安心して思い切ったプレーができなくなってしまいます。また、グラウンドが硬すぎたり、柔らかすぎても良いグラウンドとは言えません。「安全」=「良いグラウンド」。「安全」はグラウンドコンディションに関わる要素のすべての基本です。グラウンドキーパーは利用するすべての人に安全で、常に良好なグラウンドコンディションを提供できるよう日夜努力しています。みなさんも家の庭や身近にある公園の芝生を観察して、芝生の成長や四季による変化を見て、触って楽しんでください。サッカーやラグビーを観戦するときは、少しだけ芝生に注目してみてください。一味違った観戦が楽しめますよ!

 

 

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