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投稿者: センター長 コラム
2013/01/07 15:00

今年は巳年、十二支の6番目「へび」にあたります。巳の字は、母親が子供をおなかの中に包み込む様子を表しているとのことで、新たな誕生の息吹が実を結ぶ年と言えます。年頭に当たり、あえて今年の願い事を一つだけ挙げるとすれば東京へのオリンピック招致が実を結ぶことです。
 温故知新と申しますが、佳境を迎える今回の招致とも繋がりを持つ前回1964年の東京開催までの道のりを掻い摘んで振り返ってみましょう。まずは、オリンピックへの派遣母体となる大日本体育協会が、1911年(明治44年)に組織されたことにより翌1912年(大正元年)の第5回ストックホルム大会への参加の扉が開かれることになります。その後、オリンピックが欧米を中心に開催される状況下、日本開催を望む声も徐々に高まり、1931年には当時の東京市が招致に前向きな姿勢を示し、1936年のIOC総会で第12回大会(1940年)の開催地として選出されることになります。しかしながら、戦火に進む当時の政治情勢もあり、1938年にやむなく開催を返上します。結局12回、13回大会は中止されるわけですが、戦後初の開催となる1948年(昭和23年)第14回大会(ロンドン)には、我が国の参加は認められず、漸く1952年(昭和27年)のヘルシンキ大会からオリンピックに復帰することになります。
 このような苦い経験もありましたが、同時に戦後の復興、平和を目指す日本の姿を世界に示していく象徴として、再度オリンピック招致に向けた活動が国を挙げて展開されていくことになります。とりわけ、1958年の第3回アジア大会(東京)の成功は、様々な課題はあったにせよ招致機運の盛り上げに拍車をかけ、1964年の第18回大会をターゲットに名のりを上げることになります。この18回大会の開催地を決めるIOC総会は、1959年にミュンヘンで行われましたが、東京が、デトロイト(アメリカ)、ウィーン(オーストリア)、ブリュッセル(ベルギー)を相手に一回目の投票で過半数を獲得し、アジアで初の開催都市に選ばれました。戦後14年目の出来事でした。
 ざっと前回のあらましを振り返りましたが、東洋の魔女、体操、レスリング、この大会から採用されました柔道などでの日本選手の活躍は、国民の心を魅了し我が国のスポーツの普及・発展に繋がる大きな原動力となりました。また、オリンピック開催を讃え、末永く後世へ伝えていくレガシーとして「体育の日」が1966年(昭和41年)に創設されることになります。加えて、オリンピックを通じて社会基盤、産業基盤も整えられていくことになり日本社会の活性化を大きく促進しました。
 あれから半世紀、その当時と時代背景は異なりますが、2020年の第32回夏季オリンピック東京招致は「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」とのスローガンを掲げて進められております。第32回大会には当初、東京、イスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)、ローマ(イタリア)、バクー(アゼルバイジャン)、ドーハ(カタール)の6都市が立候補しておりましたが、申請書ファイルによる第一次選考が昨年5月のIOC理事会(ケベック)で行われ東京、イスタンブール、マドリッドの3都市に絞り込まれました。本年3月には、IOC評価委員会による現地視察が行われ、9月7日のブエノスアイレス(アルゼンチン)でのIOC総会で開催地が決定される運びとなります。
 縁起を担ぐわけではありませんが、縁起物として親しまれております「だるまさん」に必勝祈願を込め、「招き猫」で東京への関心を引き寄せ、大きな「熊手」で世界の票をかき集め、9月7日には、朗報を祝う「七福神」を乗せた「宝船」が満面の笑みを浮かべ東京に帰ってくる。願い事が叶う年になりますように!!

 

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