ホーム > 知る・学ぶ > コラム > 過去コラム一覧 > 岩上前センター長のひとことコラム

06 27

投稿者: センター長 コラム
2013/06/27 10:17

  
 先日、定期健康診断に行ってまいりました。これまで積み重ねた不規則な生活に加え、還暦を過ぎ、年々身体の様々なパーツが金属疲労を起こしてきているとも感じており、文明の利器がどのような答えを導き出すのか、いつもながら一抹の不安を覚えながらの検診となります。それにしても血液を抜かれる時とバリウムを飲んで長方形の台の上でぐるぐる動かされるのは苦手ですね。でも楽しみにしていることもあります
 
検診が終わり結果概要が出るまでの待ち時間は、近くの喫茶店で過ごします。お目当てはホットケーキです。笑われるかもしれませんが、年に一度、昔の一コマを思い出しながら頬張っております。そこで今回は、私と娘たちとの思い出の一端について記憶を辿りながら振り返ることにします。
 
次女が幼稚園児の頃に、お年寄りの原宿といわれる巣鴨のとげ抜き地蔵さんの近くに間借りをしており、休日は次女を連れての散歩によく出かけました。この散歩への誘い水がホットケーキでした。妻は知らない振りをしておりましたが、お地蔵様にお参りしたりした帰りにちょっと寄り道をするわけです。あれから20数年が流れ、私も娘も年を重ねたことになります。今ではホットケーキではとても誘いに乗ってこないと思いますが、一度は試してみたいとも思っております。
 長女からは、自分の頃とは違って甘すぎるとよく言われたことを思い出しますが、その長女は、生まれて間もない頃に、群馬の草津温泉近くの山間で過ごしました。住まいの前のテニスコートや裏山が格好の遊び場で、雪が降ればそり遊びに興じておりました。また、小学校2,3年生の頃には妻の実家(大塚)に居候しており、この時期は上野動物園によく通いました。往路は、道すがら公園の滑り台やブランコを楽しみあちらこちらを散策しながら、帰路は、電車の中で疲れきった娘の寝顔を見ながら(文句の一つも言いたげな寝顔でした?)今風で言えばアウトドアー系の過ごし方をしておりました。
 自分自身のことも、親父は、私が中学校を卒業するまでは厳しかったですね。しかしその後は、叱られた記憶はほとんどありません。これからは自分で責任を持って歩みなさいということだったのでしょうか?銭湯では親父の背中をよく流しました。両親は、私の潜在能力を引き出そうと様々なお稽古事をセットしてくれましたが、親の気持ち子知らずで、外に出られる口実に使っていたようです。勉強塾がお堀の近くにあり、髭を蓄えた先生も物分りがよく、自然体験も人づくりには必要との理解を示してくれ、仲間とザリガニとりに興じ、塾の終わり時間を見計らって帰宅しておりました。そろばんも一向に進歩しませんでしたが、暗算の練習は未開発な脳細胞を刺激してくれたようで、実家のスーパーの手伝いではレジを打つのが楽しみでした。また、当時のお小遣いは、夜店の金魚すくいや輪投げに消えていくことになり、消費癖もこの頃に身につけたのかもしれません。  
 
お袋に付き添って、鈍行列車に揺られ、当時は3時間ぐらいかかったのでしょうか、上野のアメ横に食料品などの仕入れに連れて行ってもらい、ご褒美にと飲ませてもらったクリームソーダーの味は今でも忘れられません。
 
こうした環境の中で育ちながらも何とか職に就き、これまで歩んでこられたとの思いや二人の娘の幼少時代を思い起こしながら、検査結果も気にしながらホットケーキを頬張っております。

Tags:

ページトップへ