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名前: センター長 コラム 作成日: 2012/12/13 15:37
岩上センター長のひとことコラムの概要説明です。

投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2013/08/22 13:38

 夏休みやお盆の時期は、通勤電車の密度も薄まり、ゆったりとした雰囲気を感じられます。何十年と続けた朝晩のすし詰め状況を懐かしむ時が、そう遠くない時期に訪れてくるのでしょう。今朝も多摩川の川辺でのんびりと釣り糸を垂らしている姿を羨ましくも思いながら吊革につかまり電車の揺れに身を任せ、退屈しのぎに単行本を片手に通勤です。
 携帯と睨めっこしている人が多く見受けられるようになりましたが、電車通勤の良さは本を読めること。ご多分に漏れず浅見光彦シリーズや十津川シリーズにはまっていた時もありますが、ここでは印象に残っている二つの作品をご紹介します。
 一つ目は「戦艦武蔵」、「長英逃亡」、「破獄」などの作品で、それぞれの時代背景の中で生き抜かれた人間模様を、史実とのコントラストを加味しながら繊細に描写していく作風で知られております吉村昭氏(昭和2年生)が手がけました「光る壁画」です。胃カメラ(Gastro Camera)の開発に挑んでいく男たちの生き様を臨場感溢れるタッチで綴った作品に、その時代にタイムスリップしていくかのように引き込まれてしまいます。
 今日の健康診断では当たり前のように使われております胃カメラの開発に向けた挑戦は国内外で数多く試みられてきたようですが、世界で最初に成功したのはなんと日本人チームでした。発案者は、東京大学医学部附属病院分院の若い外科医で、患者に苦痛を与えずに胃の内部の病変を発見するための医療機器を開発したいとの強い思いに駆られ、オリンパスの技術者やレンズづくりの職人たちの協力を得ながら、開発を推し進め、成功にたどりつくわけですが、失敗を繰り返し、挫折を味わいながらも前向きに挑戦していく人たちの心模様を描いた人間ドラマです。
 失敗したところで止めてしまうから失敗になる。成功するまで続ければ失敗は起こり得ません。しかしながら、大きな壁に何度も何度もぶつかれば、つい弱音を吐いて逃げ出したくなります。決して諦めない無限の探究心を持ち続けることは、JISSが更に発展していく上での重要な示唆を含んでおります。
 二つ目は、経済界を題材にその裏側で悩み葛藤する企業戦士の生き様を数多く手がけてきた高杉良氏(昭和14年生)の「祖国へ、熱き心を」で、一読に値します。
 この作品は、1964年の東京オリンピックを日本に呼んだ男、日系二世のフレッド・イサム・ワダ氏にスポットを当てた物語で、戦後の日本スポーツ界が国際舞台に復帰していく過程やその際に尽力された方々の苦労話が詳細に書き下ろされております。
 第1回のオリンピック(1896年・アテネ)が開催されてから一世紀以上が経過しましたが、この間に第6回(1916年・ベルリン)、第12回(1940年・東京)、第13回(1944年・ロンドン)が、第一次、第二次世界大戦のために中止に追い込まれております。また、戦後初の開催となりました第14回(1948年・ロンドン)のオリンピックは、残念ながら日本の参加は認められませんでした。
 こうした状況下で日本スポーツ界が国際舞台に復帰していく原動力となったのが1949年にロサンゼルスで行われました全米水泳選手権でした。戦後海外への渡航もままならない中で、日本水泳界の熱い思いが渡米への道を開かせます。この時にロサンゼルスでの日本選手団の受け入れに奔走されたのがワダ氏でした。今も語り草になっておりますが、この大会で古橋、橋爪選手らが大活躍し、世界新記録のアナウンスがプールサイドに流れ、現地の報道は日本選手団を「フライング・フィッシュ・オブ・フジヤマ」と称して絶賛しますが、この快挙を裏方として物心両面から支えていたのがワダ氏を中心とする日系の皆さんでした。
 この大会を通じてのワダ氏とのご縁はその後も日本スポーツ界との絆を深め、東京オリンピック招致へと繋がりました。1964年の東京オリンピック開催は、平和を目指す日本の姿を世界に発信していく上で大きな役割を果たしました。この東京招致に粉骨砕身されたワダ氏は、一民間人でありながら日本国からの特命を受け、雌雄を決するといわれておりました中南米10カ国を行脚し、IOC委員や政府関係者に日本への支援を訴え続けました。1959年5月26日、ミュンヘンで行われましたIOC総会において東京は、一回目の投票でデトロイト、ウィーン、ブリュッセルを破り、アジアで初めてのオリンピック開催を実現することになります。ワダ氏の祖国への熱い思いが通じた瞬間でした。
 領域は異なっても、未知の世界に手探り状態で入っていく、苦境に陥っても根気と地道な努力を積み重ねながら切り開いていこうとする生き様に感動を覚え、車両の揺れに眠気を覚えながらも最終章までのページをめくっております。

投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2013/06/27 10:17

  
 先日、定期健康診断に行ってまいりました。これまで積み重ねた不規則な生活に加え、還暦を過ぎ、年々身体の様々なパーツが金属疲労を起こしてきているとも感じており、文明の利器がどのような答えを導き出すのか、いつもながら一抹の不安を覚えながらの検診となります。それにしても血液を抜かれる時とバリウムを飲んで長方形の台の上でぐるぐる動かされるのは苦手ですね。でも楽しみにしていることもあります
 
検診が終わり結果概要が出るまでの待ち時間は、近くの喫茶店で過ごします。お目当てはホットケーキです。笑われるかもしれませんが、年に一度、昔の一コマを思い出しながら頬張っております。そこで今回は、私と娘たちとの思い出の一端について記憶を辿りながら振り返ることにします。
 
次女が幼稚園児の頃に、お年寄りの原宿といわれる巣鴨のとげ抜き地蔵さんの近くに間借りをしており、休日は次女を連れての散歩によく出かけました。この散歩への誘い水がホットケーキでした。妻は知らない振りをしておりましたが、お地蔵様にお参りしたりした帰りにちょっと寄り道をするわけです。あれから20数年が流れ、私も娘も年を重ねたことになります。今ではホットケーキではとても誘いに乗ってこないと思いますが、一度は試してみたいとも思っております。
 長女からは、自分の頃とは違って甘すぎるとよく言われたことを思い出しますが、その長女は、生まれて間もない頃に、群馬の草津温泉近くの山間で過ごしました。住まいの前のテニスコートや裏山が格好の遊び場で、雪が降ればそり遊びに興じておりました。また、小学校2,3年生の頃には妻の実家(大塚)に居候しており、この時期は上野動物園によく通いました。往路は、道すがら公園の滑り台やブランコを楽しみあちらこちらを散策しながら、帰路は、電車の中で疲れきった娘の寝顔を見ながら(文句の一つも言いたげな寝顔でした?)今風で言えばアウトドアー系の過ごし方をしておりました。
 自分自身のことも、親父は、私が中学校を卒業するまでは厳しかったですね。しかしその後は、叱られた記憶はほとんどありません。これからは自分で責任を持って歩みなさいということだったのでしょうか?銭湯では親父の背中をよく流しました。両親は、私の潜在能力を引き出そうと様々なお稽古事をセットしてくれましたが、親の気持ち子知らずで、外に出られる口実に使っていたようです。勉強塾がお堀の近くにあり、髭を蓄えた先生も物分りがよく、自然体験も人づくりには必要との理解を示してくれ、仲間とザリガニとりに興じ、塾の終わり時間を見計らって帰宅しておりました。そろばんも一向に進歩しませんでしたが、暗算の練習は未開発な脳細胞を刺激してくれたようで、実家のスーパーの手伝いではレジを打つのが楽しみでした。また、当時のお小遣いは、夜店の金魚すくいや輪投げに消えていくことになり、消費癖もこの頃に身につけたのかもしれません。  
 
お袋に付き添って、鈍行列車に揺られ、当時は3時間ぐらいかかったのでしょうか、上野のアメ横に食料品などの仕入れに連れて行ってもらい、ご褒美にと飲ませてもらったクリームソーダーの味は今でも忘れられません。
 
こうした環境の中で育ちながらも何とか職に就き、これまで歩んでこられたとの思いや二人の娘の幼少時代を思い起こしながら、検査結果も気にしながらホットケーキを頬張っております。

投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2013/05/30 13:50

 

 将来にわたって社会を支え、維持していくための財源として我々の身の回りには、様々な法律により木目細かく納税の義務が課せられております。
とりわけ、日常生活に直結する消費税は、否が応でも衆目の関心事となってまいります。
この消費税は、課税品目や軽減税率等の違いもありますが、アジア、欧州諸国
を含め世界約140カ国以上で導入されているようです。我が国は、ご承知の通り1988年(昭和63年)に消費税法が成立し、翌年の平成元年から税率3%でスタート、1997年(平成9年)に現行の5%になり、来年からは8%に、翌2015年(平成27年)からは10%に引き上げられる予定で議論がなされております。
私は、お酒も今は嫌われものとなっておりますタバコとも長い付き合いをしており、嗜好品に課せられる酒税やタバコ税を何十年にわたって納めてきております。
今日、車は我々の生活の利便性に欠かせないものとなっておりますが、利便性の対価として様々な税が課せられております。非常に複雑ですね。購入時には、車本体の価格に加え取得税(地方税)と消費税が、保有していく上では、自動車税(地方税)が毎年、重量税(国税)は購入時と車検時に課せられます。燃料となるガソリン税や2002年度から環境保護のために導入されましたグリーン化税とともに今後の推移が気になってまいります。
ところで、もっと気になることは、我々がもっとも身近に親しんでいるスポーツにも一つだけ税が掛けられております。ゴルフです。かつてゴルフ場も含め映画館やパチンコ場、麻雀場、玉突場などには、娯楽施設利用税(地方税)が課されておりましたが、消費税の導入に伴い娯楽施設利用税は廃止されましたが、ゴルフ場だけは、消費税に加えてゴルフ場利用税が新設され、個々のプレーヤーにその負担を負わせております。現在のゴルフ人口は、1,000万人とも言われ広く国民に親しまれており、2016年のリオデジャネイロからは、オリンピックの正式競技として復帰することも決まっております。
消費税に加え利用税が課せられる不公平な二重課税に対しては、長年にわたり日本ゴルフ協会をはじめとするゴルフ関係団体が強くその廃止を求めております。しかしながら、今回の税制改正議論においても不明瞭なままで見送られるようであり、スポーツ立国を標榜する流れとは矛盾する動きとなっております。
また、広くスポーツ振興にとりまして、民間の経営するスポーツ施設も一役買っており、以前から、固定資産税や相続税などの軽減を求める声もありますが、一方で民間の収益活動の優遇措置は税の公平性に馴染むかどうかの議論もあります。現在は廃止されたと思いますが、企業等が所有するスポーツ施設を年間800時間以上又は240日以上無償で開放する場合には、特別土地保有税の非課税措置が講じられたこともあったようですが、やはり税に関わる問題は難しいですね。
復興財源の使途に関わる議論もなされておりますが、我々に課せられた税が安心して生活できる財源として、またスポーツ振興にも有効に活用されることを望んでおります。

 

 

 

投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2013/01/07 15:00

今年は巳年、十二支の6番目「へび」にあたります。巳の字は、母親が子供をおなかの中に包み込む様子を表しているとのことで、新たな誕生の息吹が実を結ぶ年と言えます。年頭に当たり、あえて今年の願い事を一つだけ挙げるとすれば東京へのオリンピック招致が実を結ぶことです。
 温故知新と申しますが、佳境を迎える今回の招致とも繋がりを持つ前回1964年の東京開催までの道のりを掻い摘んで振り返ってみましょう。まずは、オリンピックへの派遣母体となる大日本体育協会が、1911年(明治44年)に組織されたことにより翌1912年(大正元年)の第5回ストックホルム大会への参加の扉が開かれることになります。その後、オリンピックが欧米を中心に開催される状況下、日本開催を望む声も徐々に高まり、1931年には当時の東京市が招致に前向きな姿勢を示し、1936年のIOC総会で第12回大会(1940年)の開催地として選出されることになります。しかしながら、戦火に進む当時の政治情勢もあり、1938年にやむなく開催を返上します。結局12回、13回大会は中止されるわけですが、戦後初の開催となる1948年(昭和23年)第14回大会(ロンドン)には、我が国の参加は認められず、漸く1952年(昭和27年)のヘルシンキ大会からオリンピックに復帰することになります。
 このような苦い経験もありましたが、同時に戦後の復興、平和を目指す日本の姿を世界に示していく象徴として、再度オリンピック招致に向けた活動が国を挙げて展開されていくことになります。とりわけ、1958年の第3回アジア大会(東京)の成功は、様々な課題はあったにせよ招致機運の盛り上げに拍車をかけ、1964年の第18回大会をターゲットに名のりを上げることになります。この18回大会の開催地を決めるIOC総会は、1959年にミュンヘンで行われましたが、東京が、デトロイト(アメリカ)、ウィーン(オーストリア)、ブリュッセル(ベルギー)を相手に一回目の投票で過半数を獲得し、アジアで初の開催都市に選ばれました。戦後14年目の出来事でした。
 ざっと前回のあらましを振り返りましたが、東洋の魔女、体操、レスリング、この大会から採用されました柔道などでの日本選手の活躍は、国民の心を魅了し我が国のスポーツの普及・発展に繋がる大きな原動力となりました。また、オリンピック開催を讃え、末永く後世へ伝えていくレガシーとして「体育の日」が1966年(昭和41年)に創設されることになります。加えて、オリンピックを通じて社会基盤、産業基盤も整えられていくことになり日本社会の活性化を大きく促進しました。
 あれから半世紀、その当時と時代背景は異なりますが、2020年の第32回夏季オリンピック東京招致は「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」とのスローガンを掲げて進められております。第32回大会には当初、東京、イスタンブール(トルコ)、マドリード(スペイン)、ローマ(イタリア)、バクー(アゼルバイジャン)、ドーハ(カタール)の6都市が立候補しておりましたが、申請書ファイルによる第一次選考が昨年5月のIOC理事会(ケベック)で行われ東京、イスタンブール、マドリッドの3都市に絞り込まれました。本年3月には、IOC評価委員会による現地視察が行われ、9月7日のブエノスアイレス(アルゼンチン)でのIOC総会で開催地が決定される運びとなります。
 縁起を担ぐわけではありませんが、縁起物として親しまれております「だるまさん」に必勝祈願を込め、「招き猫」で東京への関心を引き寄せ、大きな「熊手」で世界の票をかき集め、9月7日には、朗報を祝う「七福神」を乗せた「宝船」が満面の笑みを浮かべ東京に帰ってくる。願い事が叶う年になりますように!!

 

投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2012/11/02 13:11

  老若男女に親しまれているスポーツ、その楽しみ方、関わり方も多様化し、我々の身近な生活文化として広く根付いてきております。今回は、文化の日に因んだ話題を取り上げてみました。三船久蔵氏、織田幹雄氏と言われても・・?
長嶋茂雄氏はご存知ですね。皆さん、文化の向上に顕著な功績を残されたことによりスポーツ界から選ばれました「文化功労者」の方々です。
  この制度は、1951年(昭和26年)に創設され、初の受賞者を見ますと、湯川秀樹、志賀直哉、横山大観、土井晩翠と科学、文学、芸術等の分野から錚々たる方々が受賞されております。
スポーツ分野から初めてノミネートされたのは、1955年(昭和30年)とのこと。ロス(1932年)、ベルリン(1936年)両五輪の選手団長、陸 上、体操の両会長を努められた平沼亮三氏(同時に文化勲章)。その後の昭和史を見ますと1961年(昭和36年)に神技「空気投げ」を編み出し柔道の神様と称された三船久蔵氏、その後年月を経て1988年(昭和63年)に、現在の国立競技場の第4コーナーに織田ポールとして氏の偉業が継承されておりますが、アムステルダム五輪(1928年・三段跳び)で日本初の金メダルを獲得しました織田幹雄氏の3名のみであります。
  平成に入り、1990年(平成2年)に「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と当時のNHK河西アナが絶叫したベルリン五輪(1936年、200m平泳ぎ) で日本女性初の金メダルを獲得された兵藤秀子さん、1992年(平成4年)には赤バットを駆使しプロ野球史上初の2000本安打を達成した川上哲治氏、翌93年(平成5年)「フジヤマのトビウオ」と称された古橋廣之進氏(2008年に文化勲章)、2005年(平成17年)には「ミスタープロ野球」と誰から も親しまれた長嶋茂雄氏、2009年(平成21年)「巨人、大鵬、卵焼き」と人気を博し昭和の大相撲の黄金期を築かれた大鵬幸喜氏が、2010年は868 本の世界記録となる本塁打を放った王貞治氏、そして2012年の今回、サッカーはもとより広く日本のスポーツ界の 発展に尽力されている岡野俊一郎氏と7名の方々がその栄に浴されております。
  戦前、戦後とそれぞれの時代背景は異なりますが、一つの道を究めていく先人達の姿が、日本社会に活力を生み出し、勇気をもたらし、スポーツが日常生活に溶け込み、誰にも親しまれる身近な文化として根付いていく原動力に繋がっております。
  昨年6月に制定されました「スポーツ基本法」においても、全ての人々が幸福で豊かな生活を営むことができる日本社会を創出していく上で、スポーツの果たす役割に大きな期待が寄せられております。
  先人達が築き上げてきたスポーツ文化、この文化を継承し更に発展させていく上で、より高い目標に向けて極限の可能性を追求していくハイパフォーマンス分野の成果は、今後とも重要な鍵を握っているかもしれません。


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投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2012/08/29 14:09

  日本選手団の皆さん、御苦労様でした。ロンドンへの出場資格を巡る国内外での戦い、オリンピック直前の調整合宿、そして本番と、相当のストレスを感じなが らの毎日であったと思います。また、8時間の時差にもかかわらず連日テレビ画面に食い入るように一喜一憂しながら熱い声援を送り続けた皆さん、お疲れ様で した。
  204の国と地域が参加し、17日間にわたって繰り広げられた第30回オリンピック(ロンドン)、アスリート達の熱い戦いは、我々の心を揺さぶる沢山の感動をもたらしてくれました。オリンピック旗は、次の開催都市リオデジャネイロへと引き継がれその幕を閉じました。
今回のオリンピックは、我が国が初参加した1912年の第5回オリンピック(ストックフォルム)からちょうど100年目に当たりました。また、昨年の大震災の痛手を克服し復興を目指す我が国の元気な姿を世界にアピールしていく上でも注目された大会でした。
  日本の競技成績は、メダル総数38個(金7、銀14、銅17)、1位から8位までの入賞総数は80種目、メダル獲得競技数も13競技となり、金メダル数は予測を下回りましたが、アテネ、北京を凌駕する成果を収めることができました。
7月25日にサッカー女子「なでしこジャパン」がカナダを、翌26日男子がスペインに勝利し、チームジャパンに勢いをもたらす幸先よい狼煙を上げました。ロンドンでの17日間の足跡を振り返ってみたいと思います。
1)開会式を挟み本格的に競技が始まった28日、オリンピック初参加、高校3年生の萩野選手が400m個人メドレーで銅メダル、柔道男子60キロ級・平岡 選手が北京の悔しさを晴らすかのように銀メダル、重量挙げ女子48キロ級では、NTCを拠点にお父さんと二人三脚で練習に励んできた三宅選手が女子では初めての銀メダルを獲得。
2)29日、アーチェリー女子団体はロシアとの接戦を制して初の銅メダル、柔道男子66キロ級・海老沼選手が銅メダル。
3)30日、不振が続いていた柔道、漸く女子57キロ級・松本選手がロンドンでの日本初の金メダルに輝きます。柔道男子78キロ級・中矢選手、体操団体が銀メダル、競泳では、女子100m平・鈴木、女子100m背・寺川、男子100m背の入江の3選手が銅メダルを獲得。
4)31日、競泳男子200mバタ・松田、柔道女子63キロ級上野の両選手が銅メダル。
5)大会6日目となる8月1日、体操男子個人総合で内村選手が1984年のロス大会(具志堅選手)以来となる金メダルを獲得。柔道男子90キロ級・西山、競泳男子200m平・立石、200mバタ・星の3選手が銅メダルを獲得。
6)2日、競泳男子200m背・入江、女子200m平・鈴木の両選手が銀メダルを獲得。
7)3日、アーチェリー男子個人で古川選手が銀メダル、柔道は、最終日を迎え、女子78キロ級・杉本選手は銀メダルと健闘しましたが、男女合わせて金メダルは1つという結果に終わりました。
8)4日、バドミントン女子ダブルスで、前日に続き初の銅メダル、波に乗る競泳陣、最終日400mメドレーリレーで、男子が銀メダル、女子が銅メダルと健闘し、金メダルこそ無かったものの競泳史上最多となるメダル11個(銀3、銅8)と躍進。
9)5日、フェンシングのフルーレ男子団体は、決勝戦で強豪イタリアに敗れはしましたが団体初の銀メダル、内村選手が種目別ゆかで銀メダル、男子ハンマー投げでは、4大会連続出場となる室伏選手が銅メダル。
(Coffee Break)
  1908年、1948年に続き3度目の開催となります今大会は、ロンドン東部に位置するニューハム区を中心に、開閉会式会場となりました陸上競技場をはじ めとする各種競技会場を整備、サッカーやテニスの聖地といわれるウエンブリーやウインブルドンなども活用し26競技302種目が実施されました。
  今回、日本選手団の最終コンディショニング調整を支援するために、オリンピックでは初めての試みとなります「マルチサポート・ハウス」を選手村から徒歩約10分程度の場所に設置いたしました。西が丘で生活しているのと同様な雰囲気の中で、期間中延べ4,200名を超える利用がなされました。
 オリンピックも後半戦に入り、決勝ラウンドに駒を進めている卓球、バレー、サッカーやレスリング、ボクシングなどの活躍に期待も高まります。
10)6日、初日を迎えたレスリング、グレコ60キロ級・松本選手が銅メダルを獲得し好調な滑り出しとなります。
11)7日、卓球女子団体が決勝戦に進出、世界ランク1位の中国に敗れはしましたが銀メダル、卓球がオリンピックに採用されました1988年ソウル大会以降男女を通じて初のメダル獲得となりました。
12)8日、レスリング女子48キロ級で初出場の小原選手が金メダルに、女子63キロ級の伊調選手は3大会連続の金メダルを獲得。
13)9日、前日の興奮冷めやらぬ中、女子55キロ級吉田選手も3大会連続の金メダルの偉業を達成します。準決勝でフランスに勝利した「なでしこジャパ ン」は、昨年のワールドカップの再現となるアメリカとの決勝戦に臨みました。女神が今回はアメリカに微笑み惜しくも銀メダルとなりました。
14)10日、1968年メキシコ大会(銅)以来の期待がもたれた男子サッカーでしたが、3位決定戦で韓国に敗れ4位に終わりましたが、女子サッカーの銀メダルは男女通じて初めての快挙でありました。男子ボクシング・バンタム級で、清水選手がメキシコ大会以来44年ぶりに銅メダル、レスリング男子フリー55キロ級・湯本選手も銅メダルを獲得。
15)11日、バレーボール女子は、1984年のロサンゼルス大会以来28年ぶりに韓国を破り銅メダルを奪回、ボクシング男子ミドル級では、村田選手が東 京大会以来48年ぶりとなります金メダルを獲得。最終日を明日に控え、日本のメダル総数は37個(金6、銀14、銅17)とメダルの色合いは異なりますが前々回のアテネと同数に。
16)オリンピック最終日、フリー66キロ級で米満選手が、1988年ソウル大会以来24年ぶりにレスリング男子に待望の金メダルをもたらし、レスリング界はもとよりチームジャパンに取りましてもロンドン大会での有終の美を飾ることができました。
17日間の足跡を辿ってまいりましたが、今回の好結果をもたらした要因を挙げるとすれば、
① 大会期間を通してメダル獲得の流れが途切れなかったこと。
② 体操、ボクシング、バレーなどの種目が何十年ぶりかの復活を遂げるとともに重量挙げ、アーチェリー、バドミントン、卓球、サッカーなどで女性陣が活躍し新たなメダル獲得競技の裾野を広げたこと。
③ サッカーやバレーに限らず競泳、バドミントン、体操、フェンシング、アーチェリー、卓球などのチームワークが勝敗のカギを握る競技種目での活躍が顕著であったことなどではないでしょうか。
しかしながら、今回の成績を世界との金メダルランキングで比較しますと日本は11位となります。アメリカ(46個)、英国(29個)、ロシア(24個)、フランス(11個)、ドイツ(11個)等の国々はもとよりアジアに目を向けても中国(38個)、韓国(13個)に大きく水をあけられており、ロンドンをス テップにより一層の強化が求められてまいります。
  大会を終え、メダリストはもとより沢山の競技団体の皆様からJISSへの感謝の言葉を頂きました。素直に喜びたいと思いますし、これからも競技現場の声を真摯に受け止め、2年後のソチ、4年後のリオに向けてJISSの総合力を更に高め、国際競技力の向上に貢献してまいりたいと思っております。

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投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2012/06/18 16:14

  第30回ロンドンオリンピック開幕まで30日余りとなり、出場権獲得を巡り一喜一憂した予選会もほぼ終息に近づいております。前回の北京は、28競技中26競技172種目に選手339名(男子170名、女子169名)、役員237名、チーム・ジャパンとしては過去最大となる576名のデレゲーションが派遣され、25個(金9個、銀6個、銅10個)のメダルを獲得し、8位までの入賞種目総数も77種目と2004年アテネに次ぐ成果を収めました。
  近々にも派遣母体となる日本オリンピック委員会(JOC)から、選手、役員を含めた正式発表がなされる予定ですが、選手一人一人の明確な目標の下にチーム・ジャパンとしての結束を高めることにより、必ずや決戦の舞台で日本旋風が巻き起こり、新たなヒーロー、ヒロインが誕生するものと確信しております。
「謀事在人、成事在天」と言われますが、この諺には、成功不成功は人の力では計りがたく、どんな努力でも機が熟さなければ報われない事を諭しております。一つのことを成し遂げるには、他人が1回で出来ることを百回試みる、十回で出来ることを千回試みるほどの地道な努力が求められてまいります。
  しかしながら、努力をすれば必ず成し遂げられるかと言えば、努力をしても報われないこともありますし、それほど努力しなくてもトントン拍子に事が運ぶ場合もあります。ただ言えることは、努力する者の方が成功する確率は遥かに高まってまいります。勝敗は時の運とも申しますが、自ら努力することが、その運を引き寄せる近道と言えるわけです。
  先日、練馬の自衛隊体育学校で行われました自衛官アスリート達の激励会に参加する機会がありました。体育学校は、1964年の東京オリンピックを控えた1961年に開校され今年で50年の歴史を刻んできておりますが、東京大会でのウエイトリフティング金メダルの三宅義信氏、マラソン銅メダルの円谷幸吉氏をはじめレスリング、ボクシング、射撃などで日本のメダル獲得に貢献してきており、今回のロンドンにおいても10数名が日本代表に内定し、その活躍が大いに期待されております。
  この席上で元学校長も務められました三宅義信氏は、オリンピックまでの限られた期間の過ごし方や心構えを分かりやすくお話しておりました。   
  まずは、怪我をしないことを口酸っぱく言っておられました。そのこととも関係しますが、練習・トレーニング内容や日常生活面も含めて今までと変わったことをしないこと、対戦相手についてはビデオ等で何度も何度も繰り返して頭の中に叩き込むこと、特にウエイトコントロールが求められる競技は開催地の気象条件や生活環境を事前に十分把握しておくこと、試合前日は中々寝付かれなかったが、寝られなくて当たり前と思いなさい、このようなご自身の経験を通じたお話を若い選手たちにアドバイスし、エールを送っておりました。
  日本代表選手・コーチの皆さん、人事を尽くして天命を待つ、敵を知り己を知れば百戦危うからず、勝って驕らず負けて卑屈にならず。
  残された期間、本番を見据えて最善を尽くしてください。JISSも万全のサポートを約束いたします。

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投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2012/05/21 13:30

  ロンドンオリンピック開幕も近づき、競技ごとの最終選考会も佳境に入ってきておりますが、今回は、ロンドンへの代表入りを果たした競泳の北島康介選手にスポットを当ててみました。
  競泳のオリンピック選考基準は、各種目の決勝で上位2名に入り、なおかつ日本水泳連盟の派遣標準記録(本番でも決勝に残れるタイムを設定)の突破が義務付けられております。4月上旬に行われました代表選考会では、100分の数秒差の記録の壁が明暗を分けることになりました。
この大会で最も注目された選手は、シドニー(100m平・4位)、アテネ(100m平・金、200m平・金)、北京(100m平・金、200m平・金)に次ぐ連続4度目の出場がかかった北島康介選手でしたが、見事に100m、200mともにトップでゴール、100m平泳ぎでは、自己の持つ日本記録(58秒91⇒58秒90)を塗り替えて五輪切符を勝ち取りました。
  北京後の彼は、心身の疲労がピークを迎えていたと思いますが、肉離れによる準備不足の中で出場した昨年の世界選手権は、100m平・4位、200m平・2位の結果に終わり、今年は年齢的にも29歳を迎え、国内でも若手の追い上げも厳しくなってきておりました。こうした状況ではありましたが、再度記録を塗り替え復活してくる強さはどこから生まれてくるのでしょうか?
  今回の競技日程は、100m平が初日(予選・準決)、2日目(決勝)、中1日置いて4日目に200m平の予選・準決、5日目が決勝でしたが、彼にとっては、泳ぎのチェック、レースの組み立て、コンディショニング、レース後の過ごし方などを含めて、この5日間をロンドン本番で最高のパフォーマンスを発揮していく上でのシミュレーションに位置づけていたのではないでしょうか。
  多分、過去3大会の経験をもとに、ロンドンでの予選から決勝までのレース展開や通過タイムを予測し、彼の両サイドは本番で競い合うであろう選手をイメージしてレースに臨んだものと思います。
  戦術的にも「機先を制する」前半からの積極的な泳ぎは、レース全体の流れを自らがコントロールし、勝機を自らの手で引き寄せてくる百戦錬磨の経験を積んだ勝負師としてのつぼを心得た戦いぶりでした。
  こうしたレース運びを可能にしている最大の要因は、日本を離れ米国での武者修行を積みながら、自らに厳しいトレーニングを課してきた弛まぬ努力ではないでしょうか、この裏付けこそが、他を圧する積極的な泳ぎを生み出し、強さのオーラを醸し出すのではないでしょうか。
  かつて、フジヤマノトビウオと称された、故古橋廣之進氏は、「私の目標は、世界一になることだった。だから人の何倍もの練習を苦しいとは思わなかった。人間というものは大きな目標を持って、一筋に努力し工夫し苦しみに耐えてこそ大きく成長していけるものだと思う・・泳心一路」と語っております。
  今回のロンドンでは、五輪3大会連続2冠の期待が寄せられておりますが、誰よりも五輪で勝ちあがっていくことの厳しさと頂点を極めた達成感を幾度となく体感している彼にとっては、本番での世界のライバルとの頂上決戦に向けた緊張感が逆に彼の心を奮い立たせ、上昇志向モードへとギアチェンジさせていくものと大きな期待を寄せております。

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投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2012/03/29 18:39

  閏年となる今年は、2月の暦を3月へとめくる矢先の29日、都心も含め 関東地方は一面の雪化粧に包まれました。慣れない雪に交通網はお手上げ状況でしたが、心地よい雪の感触や白一色に染まった景色を一時ではありますが楽しむことができました。今回は、国際オリンピック委員会(IOC)の主催により、本年1月にオーストリアのインスブルックで行われました第一回ユースオリンピック冬季大会の一コマを紹介します。

  モン・ブラン(4807m)に代表される4000m級の山々を連ねるアルプス山脈は、フランス、イタリア、スイスを経てチロル州の州都インスブルックへと連なっております。

  標高570mに位置するインスブルックは、屏風のように切り立った山々 に囲まれ、アルプスの氷河を源流とするイン川のほとりに、我が国の室町時代に当たる14世紀頃からこの地を治めていたハプスブルク家の王宮跡を中心に街並 みが造られ、ドイツやイタリア、スイスとも境を接する交易上の要衝となっております。  
  町の中心街に敷設されたモダンな登山鉄道とゴンドラを利用すると約30分程度で2,200mの山頂に辿りつくことができ、夏場は、トレッキングやキャンプに、冬場は、雄大なアルプスの山々を満喫できるウインタースポーツのメッカとして賑わいを見せております。

  IOCのジャック・ロゲ会長は、14歳~18歳までの次世代を担うジュ ニアアスリート達を対象にスポーツと文化・教育を融合させたユースオリンピック(YOG)構想を提唱し、夏季大会については、既に2010年にシンガポー ルで開催し、今回初の冬季大会を、1964年、76年と2回の冬季オリンピック開催実績を有するインスブルックを舞台に、世界70カ国・地域から約 1,000名を超える選手達の参加のもとに開催いたしました。

  冬季オリンピックと同様にスキー、スケートなどの7競技、63種目に ユースチャンピョンを目指した戦いが繰り広げられましたが、勝敗のみにこだわりがちな風潮を是正していく意味合いから、競技水準の評価材料として使用され ている国・地域別のメダル獲得数の公式発表を控えたり、複数国によるチーム編成や男女混合による種目の導入も試みられました。

  また、競技と並行して行われた文化・教育プログラムでは、言語や生活習 慣の違いを乗り越え、若人達がお互いに協力し合いながら交流の輪を広げていけるよう、フィギュアスケート金メダリストのキム・ヨナ選手等をゲストに「ミー ト・ザ・ロール(お手本に会おう)」と題しての座談会、選手同士が協力しての料理プログラム、雪の彫刻づくりやチロル地方特有のそり遊びに触れる「山に対 する認識向上」プログラム、メディアトレーニングなど多彩な体験の場も用意されました。

  オリンピックを象徴する五輪の旗、重なり合う五色の輪には、五大陸の結 びつきと世界中のアスリート達がオリンピックに集える平和の大切さが込められておりますし、「より速く、より高く、より強く」の言葉には、ルールを守り、 仲間を尊重し、フェアプレーのもとに全力を傾けて努力していくことの大切さを説いております。
  新たにスタートしたユースオリンピックは、こうしたオリンピック本来のレガシーやスポーツ文化の多様性を次世代に継承し、調和のとれた人間性をジュニア時代から育てていきたいとの願いが込められております。   

  4年後の2016年は、94年冬季オリンピックの開催地、北欧スカンディナビア半島に位置するリレハンメル(ノルウェー)が舞台となります。

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投稿者: センター長 コラム 投稿日: 2012/02/21 17:38

  冬季競技との関わりは、1970年代後半に小樽の天狗山で開催されましたインターハイの引率が始まりです。その後、県教委時代に冬季国体、文科省時代に長野冬季オリンピックや青森冬季アジアなどに接してまいりました。

この時期は、冬季競技の大会が世界各地で行われ、日本選手の近況が連日報道されておりますが、各競技団体は、既に2年後のソチ冬季オリンピックに標準を合わせた選手の育成・強化を取り進めております。今回は、前回バンクーバーの記憶を辿りながらソチに活かせるヒントを探してみました。

  82か国・地域が参加したバンクーバー、チーム・ジャパンにとっては、冬季競技復活への糸口を探り当てる大会でもありました。前半に行われた男子500m スピードスケートで長嶋、加藤両選手が銀、銅を、男子フィギュアでは、怪我の回復が心配された高橋選手が最高のパフォーマンスを披露し銅メダル(前回は8位)を、女子モーグルでは、長野から4大会連続出場の上村選手が、雨脚が強まる悪天候の中、メダルには一歩及びませんでしたが4位と健闘しました。

  まずまずの滑り出しでチーム・ジャパンは勢いに乗るかと思われましたが、その後の流れは、女子スピードスケートやノルディック等での入賞はあったもののメダルへの壁は厚く、最後の最後で女子フィギュア浅田選手が銀メダルを、女子チーム・パシュートでは、僅か0,02秒の差が明暗を分け銀メダルに。

  最終成績は、銀3個、銅2個、入賞者数(4位~8位)21種目となり、トリノを上回りましたが、最高の成績を収めた長野(金5、銀1、銅4)と比べ物足りなさが残りました。当時の長野に勝利の方程式が存在していたとすれば、様々な角度から比較分析し、具体の対応策を持ってソチに繋げていくことが求められます。

  世界に目を向けますと開催国カナダの健闘が光りましたが、トップ10の常連国であるアメリカ、北欧諸国に伍して韓国、中国の躍進も著しく冬季の世界地図が大きく塗り替えられてきております。韓国は、フィギュア、スピード、ショートトラックと氷上競技をターゲットに金6、銀6、銅2のメダルを獲得し世界のベスト5に躍進、中国もスピード、ショートはもとよりスノーボードなどの新たに採用された競技への重点化や外国人コーチの招聘などにより金5、銀2、銅4個を獲得しベスト7に、我が国の20位を大きく凌駕する結果を残しました。

  韓国は、バンクーバーとの接戦の末に敗れた冬季招致(2003年IOC総会)に意欲を燃やし続け、2018年招致に平昌(ピョンチャン)が3度目の立候補をし、昨年、ダーバン(南アフリカ)でのIOC総会で、ミュンヘン(独)、アヌシー(仏)を抑え悲願を達成し、今後益々、強化環境がレベルアップされ、更に勢いを増してまいります。

  こうした状況下で、日本は2年後のソチ、6年後の平昌に向けどのように立て直しを図り世界と戦える力を育成していくのか?これまでアジアにおける冬季競技をリードしてきた日本ですが、今後、世界と勝負していくには、世界の趨勢を見定め、課題を明確にし、具体の行動計画を十分に練って最出発する覚悟が必要かもしれません。長年にわたって蓄積したノウハウを再度振り返りながら新たな知恵を出し合っていくことが大切です。JISSとしても、メインポールに日の丸の旗がゆったりとはためくことを願い全力でお手伝いしてまいります。

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