JISSのスタッフ、勤務経験者がJISSでの仕事を紹介します。

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投稿者: ex- worker
2013/05/29 16:39

榎木 泰介 (スポーツ科学研究部契約研究員・生化学分野、2004~2008年在職)

現職 : 大阪教育大学 教育学部 教養学科 健康科学専攻 講師
専門領域 : 適応生理学、運動生理生化学
最終学歴 : 東京大学 大学院 総合文化研究科 生命環境科学専攻

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はじめに

原稿依頼を頂き、JISSでの活動を振り返ると、たくさんの思い出が湧き出てきて、なかなか執筆に至りませんでした。それは昨日のことの様にも思え、今もなお色あせない貴重なものです。多くの先輩方、同僚に支えられた夢の様な時間について、みなさんにお伝えできれば幸いです。

JISSで働く前は何をしていたか

私は大学院を卒業したのち、初めて働く職場としてJISSに着任しました。という訳で、JISSで働く以前の話は、学生時代にさかのぼります―
もともとスポーツが大好きだったこともあり、将来はスポーツトレーナーになりたいと考えていました。しかし当時はまだ、トレーナーという職業にどうやったら就けるのかもわかりませんでした。そこで、考え出した答えが「学校で健康を守るトレーナーになろう」でした。学校のトレーナーは、、、保健室の先生(養護教諭)と思い(込み?)、その様な道に進みました。

その後、大学院への進学に際して、より深くスポーツ科学を勉強したいと考え、人生の恩師である東京大学の八田秀雄先生の研究室のドアをノックしました。大学院では白衣を着て、動物を使った実験研究を行っていました。これが「生化学」という研究分野への第一歩のように思います。しかし一方で、やはりスポーツそのものにも興味がありましたので、実験後の夕方からは、同じキャンパス内で練習を行っていたアメリカンフットボール部Warriorsに参加させて頂きました。

当時、私が所属していた大学院の専攻では、大別して「ヒトを対象とした研究を行うグループ」と「動物や細胞を対象とした研究グル―プ」があり、大学院生の部屋も2か所に分かれていました。前者は測定実験時には動きやすいように主に「ジャージ」などを着ていて、後者は「白衣姿」でした。当時、私は好奇心からどちらの部屋にも顔を出していて、その時としては珍しく、「ジャージの上に白衣」を着ていました。また、トレーニングジムに出入りしていたこともあって、ヒトを対象とした実験グループの被験者も数多く引き受けました。このような経験が、その後、JISS館内でも「ジャージの上に白衣スタイル」の確立につながったと思います。また、白衣で行う自分の「ミクロな研究」が、ヒトに対してどの様に貢献できるのかという自問自答は、トップアスリートが集うJISSでの仕事においても、自分のアイデンティティを構築する基盤になっています。

博士課程への進学時には、生化学の研究をより深めることを選択しました。ミクロな研究を通じて、マクロへ貢献しようと決めた瞬間でした。その後、在学中に1年間の在外研究をカナダで行う機会を得ました。研究テーマである「エネルギーの代謝効率」について、骨格筋細胞などの表面に存在しているタンパク質の分析に取り組みました。ヒトがエネルギーを効率良く使い、疲れず、高いパフォーマンスを発揮する為には、何が重要なのかについて、特に乳酸を中心として研究を進めました。

ちょうど留学から帰国する頃、JISSの生化学部門で研究員の募集があることを知りました。恩師からの「たぶん採用されないと思うけど、受けてみたらどうかな」という一言に背中を押され、チャレンジした結果、幸運にもJISSで働く機会を頂きました。余談ですが、面接試験の日は、カナダから帰国してまだ1週間ほどでした。緊張する私を見て、当時のセンター長・浅見俊雄先生が「じゃあ、面接を始めますね。英語でしましょうか?」と冗談を言って和やかにして下さいました。また、JISSで働き始めた数ヵ月後には、「君は僕がセンター長として採用した最後の研究員だからね。まぁ、頑張ってよ。」と、いつものにこやかな笑顔で、伝えて下さいました。

 
JISSで働く直前の研究留学期間中は、朝から晩まで実験漬けの充実した毎日を送っていました。いろいろな実験機材を使って、何不自由なく、自分が計画した実験を行っていました。体の中では、筋細胞の中では、こんなにも緻密にエネルギー代謝がコントロールされているという事実を、自分の実験で証明したいと思いました。このままここに居られたら、面白い実験が一生できると、研究者としての研究人生を考えました。
一方で、この研究分野の世界には、私以外にもたくさんの研究者がいて、誰かが研究を進めてくれるという現実も認識し始めました。誰かとは、恩師たちや信頼する友人・仲間たちであり、または他の多くのライバルなのかも知れません。今後十数年、ミクロな研究を進めることについて、真剣に考えるだけの時間が、雄大なカナダにはありました。
その結果、大学院5年間の研究生活で学んだことを、一度、試してみたいと思い始めました。まだまだ力不足ですが、それも早く知っておこうと思いました。そんな心境もあって、自分の研究が貢献できそうなフィールドを、次の活動拠点にしたいと考えました。私が研究を始めたきっかけの1つは、スポーツ選手に貢献したいという思いです。トップレベルの選手が集うJISSは、そんな私の思いが十二分に叶う、夢のような場所です。わずかですが研究生活で得た知識や考えが、スポーツ選手の役にたつのだろうか。またどうすれば、より役にたつ研究ができるのか。それを知りたかったというのが、JISSで働きたいと思った根源だったように振り返ります。

なぜJISSで働こうと思ったのか

JISSで働く機会を得られたことは、本当に素晴らしい幸運としか言いようがありません。たまたまその時期に、生化学分野の採用があったことが、非常に大きな幸運でした。

その後、JISSでは「アスリートに貢献する」という志で仕事を行いました。もちろん、当時の私は「生化学で金メダルに貢献するぞ!」くらいに意気込んでいました。しかし、それが「井の中の蛙」だという現実を知るのに、多くの時間はかかりませんでした。トップ選手の前では、本当に私の研究は役立つのか?について、常に試される毎日でした。守られた小さな環境の中でしか、貢献できないという事実をすぐに受け入れました。それを知れたことが、その後、研究においても役立っていると実感しています。JISSで働きたいと思い、叶い、自問自答の毎日を過ごし、卒業してもまだ感謝が尽きない、私にとってJISSは恩師のような職場です。

JISSでの業務の内容は?

私が採用された2004年からの世代は、JISSにとって第2期に当たると考えています。開所を担った運営部、研究部のみなさんが第1世代とすれば、私は第2世代というべきでしょうか。本稿第7回を担当された菅生貴之さんは、JISSで2年ほど一緒に仕事をさせて頂いた「第1世代の先輩」です。私が所属したスポーツ科学研究部の生化学分野では、先輩に花井淑晃さん(現・名古屋工業大学准教授)がいらっしゃいました。また、生化学分野では、上司である副主任研究員の高橋英幸さん(現JISS科学研究部)が統括していました。第2世代の私は、花井さんと高橋さんが作り上げられた生化学実験室を引き続き運営し、JISS全体に対しても、サポート活動や研究活動において生化学がどの様に関わりをもてるのかを試行錯誤する期間だったように思います。もちろん科学研究部として、全体の業務にも携わりながら、専門性を汎用化することが、次の世代の役割だったように思います。

着任初日、高橋さんとの会話の中で、特に印象に残っていることは「生化学実験室を守って欲しい」という言葉でした。当時の私は、JISSに就職したのだから、スポーツ現場と密接に連携しながら、現場の問題点を汲み上げられるような研究をしたいと考えていました。その意識を察してか、高橋さんは、まず生化学実験室を定常的に運営する(=守る)ことで、JISS内部だけではなく、対外的にもPRできるのだと諭して下さいました。これは、JISSの外(=現場)へ出て仕事を見つけようと考えていた私にとって、まずは自分の足元から整えなさい、という大きな思考転換となりました。実際、初めの1カ月間は「1塩基多型(SNP)と運動パフォーマンス」という、私にとっては初めて接する遺伝子関連の研究分野について、ひたすら論文を読んでまとめるという作業をしていました。時は折しもアテネ五輪の真最中で、JISSからは研究員が現場へ出払い、部屋には私1人、机に向かう日々が続きました。内心は、こんなことでお給料を頂いていて良いのだろうか、、、と悩む日々でした。
ただ、この最初の1か月が、非常に重要だったように思います。もともとトレーナー志望で、スポーツ現場が大好きな私ですから、ともすれば生化学実験室を守らず、スポーツの現場(合宿、練習場や試合会場)に出向いては、「生化学は役にたてますよ」と売り込みをしていたかもしれません。それよりも、まず自分は何ができるのか、現場にとってどんな役にたてるのかについて、私人ではなく「JISSの生化学分野の研究員」として立場を明確化する方が、よほど重要だったと理解しています。

そんな経験もあってか、その後、先輩の久保潤二郎さん(現・平成国際大学講師)から、日本レスリング協会とのサポート事業、研究プロジェクトを任せて頂く機会を得ました。また在職4年間では、いくつかの競技団体と生理・生化学的なサポート事業や、研究活動を行うことができました。JISSを卒業する時には、もっとスポーツ現場に関わりたかったという少しの後悔があったのですが、今ではいろいろと任せてもらえた幸運の方が心に残っています。

一方で、JISSが主体となって行う研究活動でも、科学部研究員の先輩・前川剛輝さん(現・日本女子体育大学)を中心として、高地トレーニングの有効的な活用方法について検討を重ねました。競技力向上という課題において、生化学的な分析方法がどのように役にたてるかと試行錯誤し、実際に岐阜県飛騨高山市で高地トレーニング合宿実験を行った経験は、非常に貴重で印象に残っています。

これらトップ選手の競技力向上を主眼としたサポートおよび研究活動を通じて、私が運営している生化学実験室の利用価値や、ひいては生化学という学問分野の応用価値を客観的に考える機会を与えて頂いたように思います。これはJISSを卒業した今も、礎として私の心に深く根付いています。

 

JISSの仕事で心に残っているものは?
心に残っていないものはないです、というのが本当に率直な感想です。たった1日の間に、いろいろな感動や興奮が味わえる職場だったので、「この感動を数日に分けて欲しい」と思うことが多々ありました。日本代表合宿でサポートや測定を行ったり、JISSに送られてくる検体を分析したり、海外からのゲストに対応したり、高地トレーニングの第1回国際学術会議の為にスペインに行ったりと、4年間の毎日が刺激的で、また出勤から夜までがあっという間でした。

私は現在、大学で教員として勤めているのですが、先日ゼミで「JISSにいた4年間で、朝起きて、今日は仕事に行きたくないなぁと思った日は1日もないよ」という話をしたら、4年生がびっくりしていました。今もですが、本当に幸福な職場に恵まれているのだと思います。

JISSでは、多くの有名なアスリート達と一緒に仕事ができ、また自分の専門分野を通じて、彼らに貢献しようと自己研鑽する喜びがあります。またJISSでは、多くの同世代のスポーツ研究者と一緒に、分野を越えたコラボレーションを通じて思考錯誤し、切磋琢磨する喜びもあります。

心に残ったことを具体的に挙げるとすると…仕事ではありませんが、生化学実験室を使ってもらうために、JISS館内のいろんな部屋に出向いた初期の日々が印象的です。生理学分野の研究員が常駐する科学研究部はもちろんのこと、心理学、バイオメカニクス、栄養、医学部、臨床検査室、トレーニングジムetc…加えて、我々の日々の仕事を円滑にする為に働いてくれる事務アシスタントや、JISSの運営を支えてくれる運営調整課など、いたる所に顔を出しては、「生化学実験室、やってます」とばかりに、宣伝して回ったように思います。これは、まずは私を知ってもらおう、生化学を使ってもらおう、という極めて重要な仕事でした。それは業務時間内だけではなく、業務後の討議会@赤羽(別名・飲み会)も非常に貴重な機会でした(本当にほとんど毎日でした)。本稿第5回担当の運営部・佐野総一郎君とは、研究員と職員という間柄ですが、同歳ということもあって、とても親しくさせて頂きました。@赤羽どころか、私の家でのホームパーティに一番よく来てくれた親友です。お互いに異分野であっても積極的に交流した結果、JISSを離れた今でも、多くの先輩方や後輩たちと仲良くさせて頂いている事実が、JISSに勤めた大きな財産の1つです。

そうして、JISS着任から2年がたったころ、生化学分野の研究員を増員採用して頂けることになりました。ある日、休憩中にベランダで1人、空を見ながらコーヒーを飲んでいると、隣に平野裕一先生(現主任研究員)がやって来ました。平野先生は真っすぐ雲を見ながら「生化学で1名、採用したからね。任せるよ。よろしく頼むね。」とおっしゃり、にこっと笑って出て行かれました。翌年、現研究員である大岩奈青さんが着任されました。在職3年目からは大岩さんと2人で、JISSにおける生化学分野の可能性について、仕事をより深め、広げられたと感じています。もちろん、JISSを卒業した今も、大岩さんの活躍を大阪から見守っています。

JISSの仕事を通して得たもの、自分が成長したと考える面
大学院を卒業して、研究者として始めて着任した職場がJISSだったので、私の社会人としての基盤は全てJISSでの経験からと言って良いと思います。現在は大学に勤めていますが、JISSのような大規模な研究所で勤めた経験は、非常に有意義だと思うことが多々あります。

これまでお伝えしたように、自分自身の専門性を客観視して、それが他分野やアスリートに対して貢献できるものなのかを考える事は、非常に重要であると思います。自分を客観視することは、対象との関連性や距離を探るだけではなく、結局は自己研鑽につながるという教訓を得ました。

また、組織の中で、組織として動く、働くという意味や意義を、実践形式のなかで学んだように思います。己や己の分野ではなく、JISSやJISSの生化学分野としての軸を据えるという心構えでしょうか。よく目耳に触れる「人が1人でなし得る事は、それほど多くはない」という事実を、JISSでの職務経験を通じて理解しました。

これには、科学部の上司や運営部の方々、研究員の諸先輩方の存在が大きいと感じています。27歳でJISSに着任した私は、研究者としてだけではなく社会人としても未熟で、名実ともにヒヨコでした。無知であるがゆえに、時に無礼で尊大な立ち居振る舞いをしていたと反省しています。そんな若造を、JISSの諸先輩方は時になだめ、傾聴して下さり、まるで末っ子の弟の様に大切に扱って下さいました。

本稿でも何度か記述していますが「任せる」という尊い言葉があります。恩師の八田先生もそうですが、平野先生や高橋さん、科学研究部の同部屋にいらっしゃった諸先輩方、みなさんが私や生化学分野に任せてくれました。任せられると、自由にやって良いと意気上がり、勘違いしてしまいますが、社会人として働くにつれ「任せる=責任の委譲」という真実を知ります。任せてもらった責任、預けられた期待、それを感じてこそ、取り組むパワーやエネルギーが増します。

大学教員となった今、学生に任せることが難しく、常に葛藤があります。しかし、多くを任せて頂いたJISSでの日々を思うと、任せられない自分にはその勇気がないとわかります。失敗しても責任はとるからやってみなさいと、JISSの先輩方の様に任せられる人間へと成長したいと思います。

JISSで働くことを希望する人にメッセージ
北京五輪まで在職した私が第2世代だとすれば、ロンドン五輪以降の現在、JISSで活躍されている方々は第4世代、もしくは第5世代でしょうか。JISSも組織が大きく変わり、隣接するNTCも稼働し、関わる人間の数も数倍になったと聞きます。昔ながらの私の言葉が、今のJISSに沿うものが心配ですが、、、浅見初代センター長がおっしゃった「最強の黒衣たれ」という言葉が印象に残っています。JISSは多くの運営スタッフと研究者から成り立つチームです。チームとなり歌舞伎の黒衣のように、後方からアスリートやスポーツに関わる人々をサポートします。チームには様々な役割がありますが、その役割に大小や優劣はありません。ただ、全てのメンバーが同じ方向を向いていなければ、チームは上手くいきません。我々、研究員は様々な意思や情熱をもって、JISSでの仕事を希望します。その多様な志を認めたうえで、それらの向かう先が同じ方向だと素晴らしいと思います。高い専門性をもって、それを国際競技力の貢献に向けて活用できるような人材が、これからのJISSを担ってくれると期待しています。 
JISSを卒業して

昨年末、近畿在住のJISS OG&OBが集まり、大阪に来られていた平野先生を囲んで、JISSの近況についてお聞きしました。現在のJISSでは、私と同じ時間を過ごした先輩方や同期たちが、常任研究員として活躍しています。彼らの活躍を祈り、また我々、卒業生も何か役にたてないかと考えています。

今年で開所12年目を迎えるJISS。スポーツ界、日本の社会へのさらなる貢献を期待し、信じて応援します。JISSの卒業生は様々な場所、分野へ広がっていますが、

 

それぞれの点が広がったら、それらを結んだ面積は大きくなる 佐藤竹善(Sing Like Talking・歌手)

 

この言葉を信じて、微力ですが私もJISSに協力できたらと思います。

 

 

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