スポーツキャリアとは

ロールモデル紹介

井本直歩子。幼少期から競泳のエリート選手として過ごし、1996年アトランタオリンピックで競泳の女子200m自由形、4x100mリレー、4x200mリレーに出場、4x200リレーでは4位入賞を果たしました。
競技を引退後は、以前から思い描いていた国際貢献の仕事に就く夢を叶えるべく、発展途上国でインターンを経験し、2007年より国連のUNICEF(国連児童基金)の職員として現在も働いています。
幼少の頃から海外に目を向ける広い視野とコミュニケーション能力を養い、コツコツと積み重ねた努力でつかんだキャリアで今も輝いています。


井本さんのスポーツキャリア
  • 3歳で水泳をはじめ、小学校入学前にはオリンピックを目指す。
  • 小学校時代は水泳も勉強も常にトップクラスの成績を収める。
  • 本格的にオリンピックを狙うため、中学から単身大阪のスイミングスクールに移籍。
  • 高校1年でバルセロナオリンピック代表を逃し、4年後のオリンピックを目指す。
  • 競技環境と競技引退後を視野に入れ、慶應大学に進学。
  • アトランタオリンピックに出場するも、満足できる成績を出せず、競技を継続する。
  • 水泳と自分が学びたいことが学べる環境を求め、アメリカの大学に留学。
  • シドニーオリンピック代表を逃すも、競技には満足し引退。
  • 慶應大学卒業後、日本で1年間働き、英国の大学院に留学。
  • 卒業後にアフリカでインターンを経験し、2007年よりUNICEF職員として発展途上国で国際貢献活動を行っている。


視野を広く、将来までを見据えて

幼い頃から新聞をよく読んでおり、特に国際面がお気に入りでした。小さな記事から遠い国の出来事を想像して、興味を膨らませていました。
中学、高校と成長するにつれて、将来のビジョンが少しずつ明確になりはじめた井本さん。当時の水泳界は、学生の日本代表が多く、女性選手は中高生がピークと考えられていたこともあり、早くから引退後のことを意識していたそうです。

「やはり最初は漠然と海外で仕事したいと、おそらく中学校くらいから思っていたと思います。国際大会で遠征に出ていった時にものすごく(選手間の)貧富の差を感じて、自分がものすごく恵まれているなぁってことを考え始めて、将来競技者として水泳の夢をかなえた後は、貧しい人のために働きたいって思うようになったのが、高校の最後、大学入試の前でした。
(当時は)自分がトップスイマーとして色んなことを与えてもらっている立場にいて、ナショナルチームや、所属しているスイミングスクールもそうですけども、水着の手配とか、コーチが指導してくれたりとか、(競技)施設があったりとか、食事がちゃんと整えられていたりとか、遠征の費用が出してもらえるとか。全てにおいていたれりつくせりでやってもらっている自分がすごく恵まれた立場にいるなって思ったときに、(一方で)何も得られない人がいて、そういう人たちと自分が本当に同じ競技をやっているのはすごく不公平だなって思いました。」

井本さんはそうした海外への関心の高さもあり、競泳の海外遠征時などは現地の簡単な言葉を覚えてはコミュニケーションを図ったり、その国のことを調べたりするなど競技生活中の機会を活用しながら競技以外のことにも積極的に目を向けていました。

競技パフォーマンスによって切り開いた進路選択

アトランタオリンピックが終わり、競技と将来の夢のための勉強を両立させようと思った井本さんはその環境を求めてアメリカ留学を決意します。

「(それまでの)自分の水泳の成績がアメリカだと奨学金をもらいながら勉強できることがわかったんです。それは使わなきゃいけないなと思って。アメリカに行って、泳ぎながら英語の勉強と国際政治の勉強することが自分にぴったりで、もうこれしかないなって思ったんです。」

それまでの競技パフォーマンスを自らのライフキャリアに活用することで、より良い環境で“デュアルキャリア”を実践した井本さんでしたが、アメリカでの3年間は学業もパフォーマンス面も自分の人生のキャリア形成においても非常に重要な期間になりました。「自分で駄目だと決めつけないで、本当に頭の発想を変えてやったら、ちゃんと結果があらわれるんだなぁとか、いろんなことが自分でできるっていう自信にすごくつながりましたね、全てにおいて。」競技以外の経験をうまく成功体験に結びつけることで双方のキャリアに相乗効果が生まれることを実感したそうです。

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